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ヘッドマーク時代・富山地鉄の2連快急
rpd-dtoyama.jpg
2001.7.-- 富山地鉄本線 越中三郷~越中荏原

 富山地方鉄道が、大手私鉄の専売特許のような列車種別「快速急行」を新設したのは1997年4月。急行が各停運転となる寺田~電鉄富山間でも通過運転を行うのが特徴で、当初は導入されてまだ日の浅かった元西武5000系の16010形による3両編成が限定的に起用されていたという。
 ただし、通学客が少ない日には3両編成では供給過剰という事情もあり、日によっては一般の2両編成に車両が変更されるとのことで、遠征の際に撮影できたのはまさにその2両編成の方だった。…ただ、これは敢えてそっちを狙って遠征日程を組んだ覚えもあるようなないような…。
 20世紀の最終盤まで富山地鉄では運行標識を使用する車両が残っていたようだが、この当時はさすがに全車に前面方向幕が整備されていた。が、快速急行の表示が種別幕に用意されていなかったため(これは記事投稿現在でもそう)、運行標識を16010形用とその他の車両用に新調。年々減っているとはいえ、現在も電鉄富山駅の壁に陳列されている運行標識のうち、当時レギュラーで使用していたのは特急ヘッドマーク以外の丸看板ではこの列車の快急看板だけではと思い、気合を入れて撮った。・・・割には例によってピントが甘い。

 2013年冬にはもともと停車駅数が少なかった立山線で早朝に運転されていた急行が快速急行に格上げされる反面、本線は1本が急行に戻されるなど微妙に変化はあるが、最新の17480形でもいまだ種別幕未整備という知る人ぞ知るレア種別であり続けている。
 なお、記事掲載時点では使用車両に特に制限はないようだが、ワンマン運転の拡大もあってか運行標識は既に使用中止となり、運転台にラミネート加工された「快速急行」の紙を掲出する形に変わっている。
rpd-dtoyama2.jpg
 実車についていた運行標識が見えにくいので、電鉄富山駅に置いてあったものを撮影。左が16010形用、右が掲出されていたその他車両用の丸看板。

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雨の中の元阪神4連
雨の中の元阪神4連
2003.3.16 ことでん琴平線 高松築港~片原町

 「電車の博物館」の異名をほしいままにしてきた高松琴平電気鉄道。しかし、経営破たん後は根本的なサービス改善に取り組むことになり、京浜急行から700形を大量導入して当時ラッシュ運用中心にこそなっていたものの、まだまだ残っていた非冷房車を一掃していくことになる。その中で、ことでんの車両取替えの歴史の中で、一時導入先の中心的存在だった元阪神電気鉄道の車両も姿を消すことになった。当時のことでんは車両引退のたびに大々的にお別れイベントを行い、定期列車を立て替える形で、引退車両以外にも旧型車を通常運用に放り込んだり、ラッシュや正月だけの4両運転を行って、ファンをうならせていた。

 このときの引退は画像では琴平方となる1050形1051-1052。わが国の鉄道史に残る初代「ジェットカー」5001形を譲受したものだが、かつての瓦町駅が急カーブの途中にあり、3扉車の中扉はホームとの隙間が広くなって危険、との理由から、中扉は埋められ、またラッシュ時の増結運用を柔軟に行うために、制御方式を手動加速(HL)、吊り掛け駆動に変える改造の上投入された。その後、駆動方式はカルダン方式に戻されるなどしている。このさよなら運転では阪神の特急看板を模した引退を伝えるヘッドマークが付いていた。
 一方、高松築港方2両は元阪神5231形である1053形1053-1054。こちらも2扉化はされていたが、ことでん初の吊り掛けとも連結できるカルダン駆動車(阪神時代のものではなく新調されている)として登場した。ともに非冷房であり、昼間に運用されることはなかなかなく、さよなら運転が最後のチャンスと撮りに行ったもの。
 このとき1053形は引退ではなかったものの(なのでヘッドマークなし)、「阪神車同士の連結4連」というテーマなのか、連結して運用に入っていた。阪神より上半分のクリームは白っぽい印象がある旧ことでん色、しかもこの2編成は元青胴車なのだが、でも、伝統の阪神顔によくマッチしていた。

 雑多な旧型車の魅力もわかるようになってきたのはこの少し前くらいの頃から。間に合ったという気もするし、ちょっと遅かったかな…という気もする。

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しまねっこ初登場
しまねっこ初登場
2012.7.28 一畑電車大社線 出雲大社前

 2013年9月21日より、一畑電車に島根県の観光マスコットキャラクター「しまねっこ」を全面に押し出したフルラッピング車両「ご縁電車しまねっこ号」が登場し、全面ピンク基調にしまねっこや縁結びをイメージしたデザインをこれでもかとあしらったド派手な編成がおめみえした。車体だけでなく車内もしまねっこがあちこちにデザインされ、座席のモケットもピンク(!)、さらにしまねっこのぬいぐるみが座席に座っているという(まあ香川県の某私鉄が既にや…ゲフンゲフン)小ネタも仕込んでかなり本気に遊んだ感じの電車である。改装費用は島根県がすべて負担し、次年度以降も継続を計画しているとか。実は4編成いる2100系は、これで2101:京王色、2102:旧一畑色、2103:イベント車両、2104:しまねっこ となって、一畑電車標準色をまとった車両がいなくなり、全編成色違いとなってしまった。いろんな色を使ったわりには比較的まとまった感じがあって、好感を持っていた2100系の現行色が消えたのはちょっと残念な気もするが、まあ、正統派ゆるキャラといった感のあるしまねっこが島根県や一畑電車のPRに一役買ってくれて、少しでも効果が上がればいいことである。なお、一畑電車は老朽化が著しい車両群の更新を発表しており、2100系は2編成廃車となることが決まっているが、2103、2104に手を加えたということは、…そういうことなのかな。

 ここまで前置き(笑)。さて、一畑電車にしまねっこが登場したのはこれが2度目。最初は2012年に開催されていた「神話博しまね」のPRのために用意された画像のラッピング電車。フルラッピングではなく、車体内外にステッカーを貼ったものであった。
 こちらではしまねっことともに宣伝隊長として島根出身が公式設定のシュールなFLASHアニメ「秘密結社鷹の爪」の「吉田くん」のコラボとなっていた。正統派ゆるキャラと不思議な人気を呼ぶ吉田くんが溶け込むことなく同居した姿はインパクトがあった。ラッピングされていたのはこのときも2104編成。しまねっことの縁はしばらく続きそうである。

 余談。しまねっこって、てっきり神話博しまねのキャラとして誕生したのかと思いきや、2010年に公募で既に登場していたそうである。全国的に目立つゆるキャラなんてそうあるものではないとはいえ、知らないゆるキャラなんてほかにもいっぱいいるんだろう。そう考えると電車へのラッピングってのは知名度向上には結構有効なのかも。

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イレギュラーな副標識
イレギュラーな副標識
2011.4.16 阪神本線 甲子園

 阪神電鉄といえば甲子園球場。一度に大勢押し寄せる帰り客を一度にさばく手法は完成の域に達しているのは鉄道ファンなら常識。さて、この観客輸送において増発される臨時列車には、それを示す副標識が必ず掲げられるのがおきまりであった…のだが、2000系を最後に、本線で車体の外にヘッドマークを掲出できる車両がなくなり、通常の野球開催(プロ野球阪神戦、春のセンバツ、夏の高校野球)の臨時列車のときは、開催日に一律で特急系に掲出される車内掲示の副標識がそのまま出されるのみとなった(これは8000系以降の車内掲示タイプの車両については以前からこうだった。ただし、定期急行では掲出されないが、臨時急行だとこのマークが付く)。
 しかし、定番の野球でない催しで大量の観客が見込まれるときにも臨時列車を出す場合もあり、それにまさかタイガースのトラマークを出すわけにもいかないので、こういう場合に対応した違うマークがちゃんと用意されている。この画像の臨時特急の車掌台側に吊られている副標識がそれ。かつての直通特急「大阪ライナー」の副標識の色みたいだが、
謎の副標識
 拡大。甲子園球場のスコアボードと中央の大時計をあしらったこんな副標識が掲出される。甲子園球場のスコアボードは中央が突き出た特殊な形をしており、これだけで「甲子園」を印象付けられる。なかなかよくできたマークである。

 ちなみにこの画像の日の甲子園はプロ野球開催だったのだが、対戦カードは東北楽天ゴールデンイーグルス対オリックスバファローズ。2011年は東日本大震災の関係で仙台での主催ゲームが開幕直後はできず、甲子園と神戸で代替開催となったうちの一試合の観戦後に出会ったものである。
 なお、楽天の主催ゲームは2012年も行われたが、その後は開催されておらず、基本的に阪神主催以外はあり得ないから、今後よそのチームが主催ゲームを組むことは、通常はないだろう。また、たしかだいぶ前にオールスターゲームの時はどうかと行ってみたらふつうのトラマークでがっかりした覚えがある。となると、このマークを見るとなれば、野球関係以外の、大きなコンサートとかスポーツイベントが行われるのをチェックして、ヤマをかけてみるくらいしかないのでは…。
急行大和ゆき
急行大和ゆき
2010.3.20 小田急江ノ島線 相模大野

 小田急江ノ島線の主要駅の1つ、大和駅。ここを行き先とする電車は、2008年のダイヤ改正で新設されている。記事掲載時点では、各駅停車と急行が各1本ずつで、いずれも夜間帯。各駅停車は下りの終電が大和ゆきになっている。一方、急行はそれより少し前の時間帯で、新宿発が毎日1本あり、休日は平日よりも少し発車が早い。まあ早いといっても新宿発で21時台だから敢えて狙いにいかないと厳しいが…。

 …ということで、これは狙いに行って撮影したもの。東京遠征の折、最後は京成で撮っていたのに、敢えて宿泊地をまるで反対側の相模大野のビジネスホテルに確保。で、たしか入場券を買ってまでして入ったはず。たまたまこの時はダイヤが乱れ、10分ほど遅れて入線してきた列車の後ろ4両は、この時点ですでに廃車が始まっていた5000形だった。江ノ島方の前6両も個人的には当たりのはずの8000形だったのだが目もくれず(笑)、この顔を何枚も撮っていた。レア行き先の比較的多い小田急は東京遠征を開始した初期のころから目的地になる路線の1つだったのだが、案外「小田急顔」の電車で撮れる事が少なかったので、「入場券代払ってもお釣りが来た」くらいの気分で宿に戻った覚えがある。

 余談だが、小田急の大和駅とともにもうひとつ、相模鉄道にも大和駅がある。で、相鉄も大和ゆきが設定されている。こちらの「各駅停車大和ゆき」はデータイムの主要な設定行き先ではあるのでレアではないが、一方で、同じ「急行大和ゆき」は小田急ほどではないにしろ平日下り朝ラッシュ限定の少数派。2社にまたがって1つの行き先がレアというのはなかなか例が少ないかも。

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JR東海の103系
中央西線の103系
----.--.-- JR中央本線 名古屋

 東京・大阪を中心に国電の代表格として活躍した103系は名古屋でも20年以上の実績を持っていた。1977年に旧型国電の置換え用として首都圏から転属し、中央西線に投入されたのがはじまりである。ちなみに、置き換わった旧型国電の中にも通勤型の4扉車があったように、もともと中央西線の名古屋口は通勤需要も旺盛であったという。実際、ラッシュ時には10両編成を組んでおり、4扉通勤車の本領を発揮していたのだという。国鉄時代の車体塗色はスカイブルーであった。
 JR東海への移行後、継続使用が見込まれた編成に対しては冷房化などのリフレッシュ工事が施され、車体塗色もJR東海の標準色となった。また、この頃は基本7両+付属3両の10両編成が組まれており、非ラッシュ帯には付属3連だけが関西本線の普通列車で走る姿もみられたという。
 JR東海の103系は1999年に定期運用を外れ、最終的に2001年までに全車廃車となっている。…個人的にイメージが薄かったこともあってか、意外に長生きしてたんだなという感想をもったのだが。

 さて、うーん。これはいつ、どういうタイミングで、どういうつもりで撮ったのか全く覚えがない。JR東海に103系がいることは知っていたから、たまたま名古屋駅の在来線ホームで、「あっ!103系」という感じで撮ったんだろうけど。撮った時期からすると、名古屋では名鉄にお熱が集中。JRまでかまってられなかった頃だから、ホントに「いたから撮った」程度の気合の入ってない写真ではあるが、今にして思えば、それでもよく撮っといたもんだな。

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「グレードアップあずさ」の並び
グレードアップあずさの並び
1992.7.23 JR中央本線 上諏訪

 JR化後、各JRは国鉄から引き続いた車両群の中には、イメージアップ効果の狙いやバブル景気の勢いもあってか、外装や内装の改造が施されたものが数多くみられるようになった。その中で、わりと早い時期に登場したのが、中央本線の特急「あずさ」用に投入された183系「グレードアップ車」と呼ばれた車両である。窓を若干大きくしたり、座席の床をわずかにかさ上げして気持ちだけ眺望効果を増したり、座席やサニタリーを改良させた。そして、塗色は国鉄特急色から一転、白地に緑と赤のラインを車体の真ん中に一直線に貫かせるという大胆ないでたちになった。なんとなく、この頃の鉄道本でも、民営化で変身した車両の代表格としてよく登場していたような気がする。のちに塗色は一転して落ち着いた感じになったものの「あさま」用の189系にも同様のグレードアップ車が登場していた。また、この「あずさ」用も後に淡いブルーが窓周りに施された2代目の「あずさ」色が登場し、姿を消していった。現在、定期列車の「あずさ」はE257系、E351系による「あずさ」「スーパーあずさ」に置き換えられたが、183系も臨時の「あずさ」としてときおり姿をみることができる。…ただ、その時は正調の「あずさ」のトレインマークがなかなか出ないのが不思議だが。

 当時中学生でまだ1人での遠出が困難だったころなので、関西在住の人間が関東の車両を撮るなんてなかなかできないこと。それが実現したのは「家族旅行」のおかげである(笑)。諏訪地方へ旅行する機会があり、それを利用しない手はないと、クルマで来ているのに両親に拝み倒して、上諏訪駅で1時間だったか2時間だったか駅に滞在させてもらい、しこたま撮った中の1枚がこれであった。まだほとんど駅撮りしかしてない頃であり、こういう「並び」は好んで撮っていた気がする。今調べてみると、グレードアップ編成での運用は限定されていたようなのだが、たまたま偶然そういう機会に遭遇したと思われる。

 ちなみに、撮影日が判明しているのは、いわゆる「D型硬券」と呼ばれる長細い観光入場券を当時購入しており、そこにバッチリ日付が刻印されていたからである。今はデジカメだから撮影日の管理を気にすることもないが、昔はそんなことをまったくしておらず、こういう形で写真を公開するようになってから「あれ?いつだっけ」となっていたのだが、…ふーん。そういうたどり方もあるんだな…。

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PH7
PH7
2011.4.30 阪神本線 千船

 阪神2000系。本線優等列車として走れ、かつ伝統の阪神電車顔、正調の赤胴塗色の最後の6両固定編成…のわりには、どこかスマートすぎて、なんだかもうひとつ趣味的な人気に乏しいような印象があった形式であった。ただ、この形式が阪神における最後のノーマルなスタイルのヘッドマークや標識を常時装着しうる最後の形式となったので、甲子園球場での野球開催前後の臨時列車ともなれば、被写体となることが多かった形式でもあった。

 さて、この画像は2000系もそろそろ引退という頃に撮った甲子園での阪神戦終了後に運転された梅田ゆき急行の画像。先頭に付いている、野球のボールのイラストに「PH 7」と描かれたヘッドマークは、野球開催時に運転される臨時急行に対して掲出された標識板である。臨時特急の場合は春の選抜高校野球・夏の高校野球・プロ野球でおのおの別デザインのマークがあったが、臨時急行に関しては一律でこの野球ボールのヘッドマークが取り付けられており、それにちなんで「ボール臨急」などとも呼ばれていたそうである。

 このボールのヘッドマークは相当に歴史が古く、小型車と呼ばれる3011形以前の車両が走っていた時代から甲子園での野球開催後の臨時急行に取り付けられていた。当然その頃は方向幕はなく、当時はこのボールマークだけが先頭についていただけ。これだけで臨時急行だとわからせた阪神はある意味すごい(笑)。また、以前のマークはボールとともに描かれていた文字にも特徴があり、「P 1」「C 2」「FB 3」…と1枚ごとに異なるアルファベットと数字がついていた。「P」はピッチャーのPで「1」はピッチャーを示す守備番号1、「C」はキャッチャー、「FB」は「First Baseman=1塁手」で、数字はおのおのの守備番号。これが延々と続いていたという。多少野球をかじっていれば、たとえば「CF 8」なら、「おお、センター(Center Fielder)か」となるが、野球を知らない人が見るとなんのこっちゃという感じだったではないだろうか。まあ甲子園で野球を見た帰りの人が利用する列車だけに、わかる人にはわかるという遊び心だったのだろうか。

 その後阪神の各車両には方向幕が整備されていったのだが、阪神の場合は「V」のイラストをつけた特急マークなど、種別表示のみに使っていたヘッドマークはその後も長く継続使用されており、このボールマークも「臨急 ○○」と表示した方向幕とともに掲出が続く。ただ、末期は画像のような「PH 7」の1種類だけが使用されていた。「PH」はおそらく「ピンチヒッター=代打」だろうが、「7」はレフトの守備番号だし。ラッキー7の7?。まあピンチヒッターは臨時列車らしくて合ってはいるが…。ネット上で検索すると、守備番号時代は「PH 10」というのがあり、11以降は「PR=ピンチランナー」だったとか。

 画像は千船駅で撮ったもの。臨時急行用の標識なのに方向幕は急行。これは、撮影時点のダイヤでは、尼崎~梅田間の急行を甲子園発に変更して運転した列車について、甲子園~尼崎間を臨時急行扱いにしており、千船は尼崎以東の定期急行の運転区間のため幕は急行に変わっていたのであった。ただ、一部区間でも臨急は臨急なので、ヘッドマークはあり。で、外す手間を省いて梅田まで付いたまま。そこを撮ったということである。…甲子園~尼崎間で撮ればよかった…と思ったのも後の祭り。走行写真を狙えるのは土日のデーゲーム終わりの時くらい。ナイターの方が対戦カードによっては大量に出る上に、神戸方面にも走るのだが、時間が遅いしそう簡単にいけず。なかなか行けるタイミングがつかめないまま、撮影できたのは結局このときだけ。2011年6月末に2000系が運用を離脱したことで、ボールマークはお蔵入りとなった。

 余談。在阪大手私鉄各社は、昭和の頃に駅売店で販売していた運行標識のミニチュアを、新たに「ミニチュアマグネット」と呼ばれるマグネットシートに姿を変え、イベントで販売するのがすっかり定着している。阪神もこれをやっており、ボールマークも末期仕様の「PH 7」ではなく、「P 1」から「PH 10」までを販売している。まさに知る人ぞ知るマークではあるが、このほかにもボールのイラストに「三宮行」とか「高速神戸行」と神戸方面の行先を書いたものもあった。…昔は梅田ゆきは守備番号で、神戸方面は行先とかそんな感じだったんだろうか。「PH 7」は梅田だろうと神戸だろうとどっちでもついていたが。

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空港線の800形普通
空港線の800形普通
2010.3.19 京急空港線 穴守稲荷

 いまや京浜急行では本線に次ぐ位置付けと言っても過言ではない空港線。「エアポート快特」「エアポート急行」といった優等列車がバンバン走る派手な路線であるが、その中にあって、線内折り返しの普通は平日の朝や夜の目立たない時間、優等列車の合間を埋めるような形で少数設定されている。
 京急蒲田駅の高架線が完全使用開始となった2012年の改正で、本線にも京急蒲田ゆきの普通が設定されるというこれまででは考えられないような列車設定が行われたが、それまでは蒲田ゆきといえばレアな空港線折り返し普通でしか見られないものだった。ただ、空港線内だけとなると、使用される行先表示は「羽田空港-京急蒲田」の折り返し表示。ただ、いまや支線もほとんどが本線と直通運転しているだけに、大師線を除けば、なかなか運行区間表示の表示も見られるものではない。このときはそれを期待して空港線に蒲田ゆきの普通を撮りに行ったのだが、撮影時点ではまだ空港線は絶賛工事中の状態でロクに撮れる場所もない。そんな中で下りホームから蒲田ゆきを後ろから撮ろうとしていると、800形の普通羽田空港ゆき(当時は国際線ターミナル駅はない)が到着。まあ編成じゃないけど運行区間表示の幕だし…とりあえずと顔だけ撮ったもの。

 …その後当然800形は折り返して、また来たはずなのだが、その写真はない…。カブられたかどうかしたかで撮れなかったのかな…。おまけに国際線ターミナル駅延伸を機に羽田空港の2駅にホームドアがついたため、これに非対応の800形(4扉車のため)は空港線に入れなくなってしまい、抑え程度に撮ったものが、思いがけず思い出の一枚入りをしてしまったのであった。

 ちなみに、この時「蒲田ゆき」は1枚だけ撮れたのだが、
C-Flyerの空港線普通
2010.3.19 京急空港線 穴守稲荷

 まさかの千葉ニュータウン鉄道9100形「C-Flyer」の運用だった。…列車番号の付いている「東京時刻表」は持っていたが、そこまでチェックしてなかったから目が点。線内運転の普通車運用は京急車限定だろうとか思ってたし…。

 あ、そうそう。記事掲載時点では羽田空港発京急蒲田ゆきのエアポート急行ってのもあるのね…。

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越中舟橋ゆき
越中舟橋ゆき
2013.7.16 富山地鉄本線 越中荏原~越中三郷

 富山地鉄は近年増発による利便性向上を重視しているが、全線通しとなると比較的ロングランかつ沿線人口にも差があることもあり、区間運転も多数設定して、富山近郊での本数を確保している。その中で記事掲載時点で平日朝1本だけ設定されているのが、越中舟橋ゆきの普通である。
 富山近郊の区間運転としては、かつては2駅富山寄りの越中荏原行きが設定されていたのだが、それが延伸された形となっている。越中舟橋駅のある舟橋村は富山市に隣接しており、ベッドタウン的な位置づけなのだろうか。ちなみに越中舟橋発電鉄富山ゆきが2本あり、2本目の舟橋発の折り返しを兼ねて舟橋止めを設定しているようだ(1本目は回送で舟橋へ回している)。さて、画像を見ると、前面の行先表示には「普通」の表示しかない。
越中舟橋ゆき
 うーん、PCで印刷してラミネート加工だろうか…。通常「ワンマン」とだけ表示してある部分にこんな感じで行き先が差してある。電鉄富山駅のホーム脇に運行標識が陳列されているが、「舟橋」の標識は作成すらされていない様子。まあワンマン運転の強化以降、いまでは掲示に多少の手間がかかる標識は特急のヘッドマーク以外は使われなくなっている状況なので作る必要もないのだろうが・・・。ちなみに、かつての越中荏原ゆきは「荏原」の幕を持っていたほか、以前中滑川ゆきだった電車がすべて滑川まで延長された際、当初は幕が中滑川しかなく、ラミネートの行先表示を貼っていたのが、その後幕が追加されたので、いずれ幕が取り替えられる時に、設定が残っていれば「舟橋」の表示も追加されるのだろうが…。

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