でんしゃのしゃしん
鉄道写真歴10ウン年。撮りだめた写真を掘り返してみる。
英字入り赤幕急行
赤幕急行 桜木町ゆき
2002. 8.-- 東急東横線 新丸子

赤幕急行 渋谷ゆき
2002. 8.-- 東急東横線 都立大学

 東急東横線の優等列車といえばながらく急行だけであったが、2001年より特急が新設、「隔駅停車」などと陰口を叩かれるほど停車駅の多かった急行に比べるとぐっと停車駅を絞り、湘南新宿ラインを新設したJRへの明確な対抗策として注目された。この特急新設の際、東横線では車両運用の見直しが行われている。特急新設より前は、急行が9000系、各駅停車が8000系(8590系は急行)と厳格に車両が区別されていたのだが、この改正を機に種別での色分けがなくなり、8000系も優等運用に入るようになった。これによって完全復活したのが8000系の「赤幕」である。

 もともと8000系の前面幕は行先のみの表示で、急行運用時には車掌台下に種別板をかけて表示していた。しかし、その後種別板をモチーフとしたか、「急−渋谷」という書式で赤地白文字の表示を前面幕に装備し、表示して走るようになった(当初は種別板を併用したらしい)。しかし、前述の運用分けでダイヤ乱れでもない限り8000系の急行は走らなくなったため赤幕は幻となったのである。

 これが特急運転開始により8000系の急行運用が復活、特急はオレンジ地に白文字の表示が新設され、急行はそのまま赤地白文字の表示が使用された。しかし、当時の8000系は大半の行先表示がLED化、東横線所属では8021F、8023Fの2本だけが字幕式の行先表示を残している状態で、見れなくはないものの…という状況であった。また、かつてと違い英字が併記されていたため書体も微妙に変更されていた(みなとみらい線直通に合わせて英字併記がオール大文字に変更されたが、当時は他形式も含め小文字交じりの表記を使用していた)。

 2002年夏の撮影である。たしか目黒線の行先が朝を中心に区間運転が大量にあるからと撮りに行ったのが主だったように思う。その前に1度行っており、その際に赤幕急行を撮っていたため、あわよくばという気持ちでトライしていたら、見事に桜木町ゆき、渋谷ゆきとも撮ることができた。で、この時朝ラッシュ後にある急行元住吉ゆきに入れば最高なのにな…と思っていたところ、
赤幕急行 元住吉ゆき
2002. 8.-- 東急東横線 都立大学

 撮れてしまったのである。東急を撮るなんて遠征で年に1回いくかどうか。まーこの時は自分の幸運さに浮かれたものだ。ちょっとぶれてるけど。運行番号表示を見る限り、当時は「32」運用に入れば大当たりだったようである。
 その後2003年に8023Fが前面表示をLED化され、8021F1本だけが字幕表示車として残る。しかし、みなとみらい線直通時に表記方式の見直しが行われた際もLED化ではなく字幕の取替えが実施されている。しかし、そこで急行の表示は種別部のみ赤地とされたため、赤幕急行は姿を消した。
 全面赤色の東横線急行幕。方向幕自体が風前の灯となっている昨今だが、電光表示では敬遠しがちな大胆な色使いのインパクトは心に残るほど強いものであった。

おまけ。各駅停車は黒幕・行先のみであった。
8021編成 桜木町ゆき
2002. 8.-- 東急東横線 都立大学

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EF65 21
EF65 21
1998.4.3 JR山陽本線 竜野〜相生

 EF65の0番台というと、貨物列車用というイメージが強い。取り上げられることの多い旅客列車に比べ、貨物列車を趣味対象にする人はなかなかの通という印象があったものだが、まだ国鉄時代の色を多少なりとも残す機関車がいることや、ネットで希少な機関車の情報が容易に手に入ることも影響したか、最近は追っかける人も多いように思う。

 さて、この画像は1998年のもの。今やEF65の0番台で国鉄色を残す車両も数えるほどになってしまったが、この当時はまだ国鉄色を残す未更新のEF65もまだ比較的残されていたことからまだネタ扱いはされていなかったように思う。余談であるが、所属していた某鉄道趣味サークルでは「窓のHゴムが黒か白か」なんていう枝葉末節で遊んでいたのが懐かしい(笑)。そんな中でも当時別格の珍車だったのがEF65 21号機であった。この車両、一旦国鉄清算事業団ゆきになっていたのだが、JR貨物が購入し復活させたという経緯を持つ。
 とんでもない逆光写真ではあるが、それゆえ右に寄った前面車番プレートが目立ちませんか?。このほかにも飾り帯がなく、側面の車番プレートも運転台に設置され、JRマークもそちらへ移されている。で、当初この車両は車番プレートの移設の際に今普通に見られる白と青の更新色に塗られていたいわば試験塗装車のような存在であった。当初更新工事施工車はこの21号機と同じように塗装の更新色化と表記類の変更が実施される予定だったと言われている。ところが、結局これは企画倒れに終わり、更新機については更新色化は行われたものの車番や飾り帯はそのまま存置ということになってしまった。
 こうなると21号機の存在が中途半端になってしまう。表記の変更は行ったものの、更新工事は受けていない。ところが身にまとった塗装は更新機用の塗装となってしまったため、結局21号機はプレートはそのままで塗装が国鉄色に戻ってしまったのであった。飾り帯がない国鉄色はこんなに間が抜けた顔になるのかと思ったものだが、ともかくその1両だけの風貌が超ネタ機として注目を浴びたのである。
 ま、ただ地元に近い岡山機関区所属とはいえ運用範囲は幅広く、0番台だけで何十両もいた時代、補足するのは困難も困難。気にはしていたが事前情報なんて今と違って簡単に入らないためこの時撮れたのは本当に偶然のラッキーであった。確かブルトレ撮影のために朝6時前にスタンバッてたらたまたま来たという話である。21号機はこの撮影の8か月後に廃車となったため、運用中に出会えたのはこれが最初で最後だった(あとは、JR貨物の機関区公開イベントの際に展示されている姿を見ただけ。この時は意味なく「みずほ」のヘッドマークがついていたが…)。
 仲間が減ったり、色が変わってレア度が増す機関車は多いけれど、外観だけでなく施策に翻弄されて外観を変えられてしまい、結果ネタ機となった、なんていうエピソードも持つような機関車はもう現われないのではないだろうか。

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両矢印だった頃
8000系未更新急行小川町ゆき
1997. 8.-- 東武東上本線 川越8000系未更新準急川越市ゆき
1997. 8.-- 東武東上本線 川越

 東武鉄道は浅草基点の伊勢崎線系統と池袋基点の東上線系統に大別されるが、同じ東武鉄道でありながらこの2つの系統は微妙に違う点をもっていた。いろいろある中で目に付きやすいのが方向幕の行先表示であった。伊勢崎線系統がふつうに行先だけを表示するのに対し、東上線系統は画像の「池袋⇔小川町」のように「⇔」を使って運転区間を表示していた。これは方向幕が装備された8000系に始まった話ではなく、行先票(と東武では呼ぶらしい)を前面掲示していた頃からそうであった。方向幕なんて電動で一斉転換するのが今でこそ当たり前だが、この未更新8000系のように正面に手動の巻き取り装置しかない車両ばかりだった頃の名残で、簡単に言えば表示変更の手間を省くための運行区間表示だったそうである。

 撮影した97年夏が私の東京初遠征であった。当時はネットも不十分で知識もそんなになくお金もない大学に入りたての私。撮影も必要最小限だけ停車中の写真をカッチリおさめるだけしか頭になかった頃であった。ホームの先端から編成撮りしていればもっと見栄えも違っていただろうし、川越はたしかそれができる駅だったのだが当時はその手法を知らなかった…。ま、たしかこの頃だとなんてことないふつうの急行と準急だったのだろうが、今の視点で見れば8000系未更新で運行区間表示の旧書体なんてネタもネタである。種別こそ英字が入って(しかし英語と日本語のサイズが同じってなかなか珍しい)ちょっと雰囲気を崩してはいるが、この風貌ならもっと気にしてよかったようにも思えるが。当時はこだわりとか深く入り込む熱もなかったただの「私鉄好き」だったからな…。後々思えばこの近辺の年代はそれまでのいろいろなシステムが終焉を迎え、新しいものに切り替わっていく中で、最後の状態を見せていた頃だったように思う。あの時間がたっぷりあった大学の頃にもうちょっとしっかり鉄活動していれば…と思うことが多々ある。…まあもっとほかの事で後悔しろよと言われてしまいそうだが。

 なお、この両矢印表示は2000年11月いっぱいで使用を取りやめたとのことである。・・・ならもう2、3回くらい撮るチャンスあったような気もするが…。ま、今更しょうがないけど。

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名鉄5509編成
名鉄5509編成
1999.2.7 名鉄名古屋本線 国府

 昔を懐かしむ名鉄ファンがいまなお支持する車両の1つに5500系がある。名鉄の代名詞的存在はもちろん「パノラマカー」こと7000系列であったことに異論はないだろうが、5500系はその1つ前の形式になる。名鉄初の高性能車5000系の最終完成形ともいえる形式であり、なんといっても特別料金不要で乗れる車両としては戦後初の冷房完備というのがインパクトがあった(注・試験的な車両としては戦前に例があるとのこと)。また、丸みを帯びた美しいスタイルに魅了されるファンも多く、2005年の引退直前には「甦る5500系」と題して、かつてまとった塗装を復刻して引退まで定期運用やイベント的な運転を行っていた。

 その5500系の中で異色の存在として知られていたのがこの5509編成であった。登場から5年ほどの1964年に留置中の新川工場で火災に遭ってしまい車体を損傷。この頃の名鉄は運転台の高運転台化を積極的に行っていたためか、この5509も高運転台化されて復旧した。パノラミックウィンドウ風の大きな前面窓も車体の美しさに1枚買っているような気がしていたのだが、それとはまったく違う5509の顔つきにファンは「珍しい存在」と注目するようになったのである。名鉄5500系はロングセラーのNゲージプラキットが今も発売されているが、腕に覚えのある人は決まってキットを改造してこの編成を作りたがる傾向があるように思う。出来る人がうらやましい。

 ただ、私自身は存在に気づくのがやや遅く、それゆえかなかなか出会うことはなかった。出会っても車内ですれ違いとかばかりでなかなか撮ることができなかった。ところが、99年の豊川輸送の撮影を終えて豊川線の線路沿いから国府駅に戻る途中、よりによって7000系と併結され8両編成で走る5509編成を目撃。急行豊橋ゆきで走り去る姿に、私とそのとき一緒にいたサークルの友人とは慌てて駅でセッティング。折り返しはと時刻表を確認して「(急行)御嵩ゆき」なことにさらに大盛り上がり。恥ずかしながら体力勝負で両サイドともおさめさせて頂いた。余談だが、この御嵩ゆきは5500系だけが御嵩へ行き、7000系は犬山止めだったはずである。その後、御嵩まで入るパノラマカーの運用が出来て当時のネット上でも話題になった記憶がある。

 車齢が40年を超えても全車健在、2両と4両で優等から普通まで使いやすいことから本線系統の全線で重宝されてきたのだが、2000年のいわゆる「東海豪雨」で水没した5505編成が不慮の廃車となって以降、使用線区の1つだった小牧線への地下鉄乗り入れ用300系の導入に伴う置き換えで淘汰が始まり、5509編成は一足早く2002年で廃車となった。結局撮ったのはこの時が最初で最後だったはずである。

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最末期の白帯特急
特急新可児新鵜沼
1999.2.7 名鉄豊川線 八幡〜国府特急新可児新鵜沼
1999.2.7 名鉄豊川線 八幡〜国府

 ながらく全車指定席特急として活躍してきた7000系・7700系白帯車であったが、これを撮影した約3か月後の5月の改正で1600系が導入されることにより、特急運用からの離脱が決定していた。当時、7700系は豊川稲荷への多客期輸送に伴う特別ダイヤでの臨時特急しか特急運用がなかったので、これが終れば7000系より一足先に特急から引退することになっていた。たしかこの年の臨時特急での白帯車の特急自体、この新鵜沼・新可児〜豊川稲荷の併結列車2往復だけだったような記憶がある。

 さて、部品セールになると「緑色を見るとみんなの目の色が変わる(笑)」と言われる全車指定席特急用の緑色行先板を掲げている7700系、7000系であるが、実は最後の最後で少しだけ変化が起こっていた。というのも、以前は観光地ゆきの特急ならその観光地、主要都市ならそれが愛称的にメインに表示され、行先駅名がそれと異なるなら添え書きされるのが一般的であった。なので、以前なら新鵜沼ゆきなら「犬山」とメイン書きされそばに小さく「新鵜沼」、新可児ゆきは「日本ライン」のそばに「新可児」と小さく書かれていた。が、この最後の最後のシーズンになって単に行先だけ表示した行先板が新調されて掲出されていたのである。まあ最初見たときは、特に地元でない私など「日本ライン」なんて書かれても「?」だったのだが、交換されたらされたでなんか普通になったなーと物足りなさを感じたように思えたものまた事実だった。勝手なもんだ(笑)。なお、「西尾 吉良吉田」とか「津島 佐屋」だった定期の白帯車特急も単に「吉良吉田」「佐屋」に変わっていたので、どこかの時期で一斉に表示形式の変更が実施されたのだろうと推測される。

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自由が丘ゆき
自由が丘ゆき
2001.2.8 東急大井町線 大井町

 「自由が丘」という地名は地方民には何か洗練された街という印象を与える。その街を横切る東急大井町線にはながらく自由が丘ゆきの列車が運転されていた。これは自由が丘駅近くに大井町線車両の検車区が設置されていたためで、そこへの入庫を兼ねた列車であった。検車区としては昭和40年代初めには機能を田園都市線の鷺沼へ移しており、その後は留置線的な自由が丘車庫となっている。

 そんな形なので設定も数本程度に限られており、2001年に撮った際は敢えて自由が丘ゆきに合わせて大井町駅へ行った。手持ちの記録によるとこの当時は1日3本だったらしい。タイミング的に8090系とかぶってしまったのでどっちがメインかわからない写真なのが残念だが。8000系の定期運用がなくなり、8090系も表示幕がLED化されるなどこの並びはもう完全に過去のものである。

 その後、自由が丘車庫は留置線の本数削減を経て、2007年11月15日をもって廃止となり、その時点では1本だけとなっていた自由が丘ゆきも同日をもって運転終了。翌日からは二子玉川まで走るように改められている。

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湘南急行
湘南急行
----.--.-- 小田急江ノ島線 中央林間

 小田急の湘南急行は2002年のダイヤ改正で登場した。前年末にJR東日本が「湘南新宿ライン」の運転を開始、小田急のマーケットだった東京西部から湘南エリアへの輸送にJRが参入してきた。それに対抗すべく、新宿〜藤沢間を中心に設定され、小田急としては1972年に快速準急を廃止して以来変えてこなかった種別体系をひさびさに変更する形となった。
 江ノ島線には従来から新宿直通の急行が運転されていたが、相模大野で小田原方面の列車を切り離しの上で江ノ島線内各駅停車に変わる列車も多かった。しかし、湘南急行は急行停車駅からさらに江ノ島線内の長後と南林間を通過し速達化、また、分割併合もなく全区間10両編成で運転されていた。
 ところが、わずか2年余りで湘南急行は姿を消す。しかし、これは複々線化の伸張による「発展的解消」と呼べる運転体系の変更が行われたためであり、2004年末の改正で新設の快速急行へ格上げされる形となった。江ノ島線直通の快速急行は引き続き新宿〜藤沢間の運転であるが、下北沢〜新百合ヶ丘間ノンストップ運転となっており、湘南新宿ラインへの対抗馬として湘南急行が強化されたといえよう。

 「○○急行」と名のつく種別はいろいろある。「快速急行」も速そうでいいが、「湘南急行」という響きはスピード感とはまた違ったカッコ良さがあったように思える。だからなのか、「湘南急行廃止、快速急行化」と聞いたときは沿線民でもないのになんだかガッカリした覚えがある。画像はこれまた姿を消した9000系がしんがりを務めた湘南急行である。なお、この頃はまだだが、地下鉄直通車以外英字併記のなかった小田急がその後英字併記幕への取替えを行っており、末期の頃は「SHONAN EXP.」の英字がついた種別表示を掲げていた。

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大塩ゆき直通特急
大塩ゆき直通特急
1999.5.2 阪神本線 梅田

 阪神・山陽の直通特急は阪神梅田〜山陽姫路と乗り入れ両社のターミナルを結ぶのが基本である。しかし、比較的長距離なうえに終日運転ということもあって、車両運用の都合上、早朝深夜は全区間運転とはならないケースがある。出庫の関係で始発駅が御影や東二見になったり、山陽の車庫がある東二見止めという列車も設定されていた。しかし、その中で異彩を放っていたのが夜間に1本だけあった大塩ゆき直通特急である。
 大塩は車庫のある東二見と山陽姫路のちょうど中間付近にある特急停車駅であり、一部のS特急や普通車が始終着としている駅ではあるものの、それにしてもなぜ大塩?という不思議な行き先設定であった。2006年に姿を消したが、直通特急には直通運転をアピールすべく「大阪ライナー」「姫路ライナー」の愛称がついており、愛称プレートも掲示されていた。この大塩ゆきにも姫路まで行かないのに「姫路ライナー」のプレートが付いていた。実際は、終点大塩で普通車に接続するので、ちゃんと姫路には行けたのだが。
 この改正では山陽電鉄線内運転の大塩ゆき特急も1本設定されており、気になる人には気になる列車であった。都合で仕方なく設定されたと言えなくもないこの列車は次の2001年改正であっさり姿を消した。なお、余談だが、2008年現在の阪神電鉄の行先表示幕では「直特 大塩」の表示はすでに削除されている。

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競馬臨・臨急三条ゆき
臨急三条ゆき
2002.5.12 京阪本線 鳥羽街道?

 京阪沿線の大きな集客施設といえば淀駅近くの京都競馬場である。京阪では古くから競馬開催時には多くの来場客をさばくために臨時列車が多数運転された。メインとなるのはやはり大阪方からの利用客で、かつては午前中に淀ゆき臨時急行が運転され、帰りには淀屋橋や天満橋まで多数の臨時急行が走っていた。その後大阪方は一時「快速ターフィー号」が走ったり、「ギャロップ」の愛称で定期準急を延長運転することもあったが、近年午前中の臨時列車の運転は行われておらず、帰りのみ天満橋ゆきの臨時急行を運転するパターンとなっている。
 一方、京都方はある程度定期列車でもカバーできるということか、ピーク時のみの運転で本数も少ない。現在も大阪方に比べると圧倒的に地味ではあるが、臨時急行が運転されている。

 画像は以前撮った1000系の臨時急行三条ゆきである。昔は当たり前すぎた三条ゆきも鴨東線開業後は普通列車のみだったり、臨時運転でしか見られなくなった。おまけに京阪の京都方というのはなかなか撮れるところが少ないのである。…正直写真下の撮影地も自信がない(笑)。なお、京阪はわりと行楽期やイベントの臨時列車を多く出し、しっかり告知もあるのだが、競馬関連の臨時運転はめったに告知がない(急行の淀駅臨時停車は告知するのだが…)。当日駅に地味に貼り紙しているくらいのものである。

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2600形復活塗色
2600形復活塗色
----.--.-- 小田急多摩線 栗平

 今や鉄道関連のリバイバルイベントはすっかり定着した感があるが、これもその1つ。小田急電鉄初の20m級4扉大型通勤車である2600形は2000年より順次廃車が始まり、最終的には6両編成の2670Fだけが残っていた。しかし、2003年10月にこの編成の塗色を往年の紺と黄色のツートンカラーに変更、その姿で半年余り走行した。軽快なアイボリーと水色という現行塗色とはまるで違う重々しいカラーリングは注目を浴びた。ちなみに約30年ぶりの復活塗色だったという。今では鉄道模型でもふつうにこのカラーリングがバリエーションとして売られているが、私はこの車両の登場で小田急の旧塗色を認識したように思う。

 さて、撮影したのは…といきたいが全然記憶にないのだ。アルバムの前後を見ても違う写真が収まっており、ヒントにならない。たしか何かのついでで多摩線で補足できて撮ったという記憶はあるのだが、メインがなんだったのか…??このときは新百合ヶ丘〜唐木田の折返し運転運用だったので、好ポイントである栗平のホーム先端で何度も撮ったように記憶している。その後、もう1度撮るチャンスがあり、その際は急行新宿ゆきであったが、編成後部に連結されていて、小田急相模原のホーム先端からのケツ打ちであった。

 なお、この編成は小田急の歴史に残る車両としての価値を見出されたようで、廃車後も先頭車1両が保存されているとのことである。

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