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鉄道写真歴10ウン年。撮りだめた写真を掘り返してみる。
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名鉄5509編成
名鉄5509編成
1999.2.7 名鉄名古屋本線 国府

 昔を懐かしむ名鉄ファンがいまなお支持する車両の1つに5500系がある。名鉄の代名詞的存在はもちろん「パノラマカー」こと7000系列であったことに異論はないだろうが、5500系はその1つ前の形式になる。名鉄初の高性能車5000系の最終完成形ともいえる形式であり、なんといっても特別料金不要で乗れる車両としては戦後初の冷房完備というのがインパクトがあった(注・試験的な車両としては戦前に例があるとのこと)。また、丸みを帯びた美しいスタイルに魅了されるファンも多く、2005年の引退直前には「甦る5500系」と題して、かつてまとった塗装を復刻して引退まで定期運用やイベント的な運転を行っていた。

 その5500系の中で異色の存在として知られていたのがこの5509編成であった。登場から5年ほどの1964年に留置中の新川工場で火災に遭ってしまい車体を損傷。この頃の名鉄は運転台の高運転台化を積極的に行っていたためか、この5509も高運転台化されて復旧した。パノラミックウィンドウ風の大きな前面窓も車体の美しさに1枚買っているような気がしていたのだが、それとはまったく違う5509の顔つきにファンは「珍しい存在」と注目するようになったのである。名鉄5500系はロングセラーのNゲージプラキットが今も発売されているが、腕に覚えのある人は決まってキットを改造してこの編成を作りたがる傾向があるように思う。出来る人がうらやましい。

 ただ、私自身は存在に気づくのがやや遅く、それゆえかなかなか出会うことはなかった。出会っても車内ですれ違いとかばかりでなかなか撮ることができなかった。ところが、99年の豊川輸送の撮影を終えて豊川線の線路沿いから国府駅に戻る途中、よりによって7000系と併結され8両編成で走る5509編成を目撃。急行豊橋ゆきで走り去る姿に、私とそのとき一緒にいたサークルの友人とは慌てて駅でセッティング。折り返しはと時刻表を確認して「(急行)御嵩ゆき」なことにさらに大盛り上がり。恥ずかしながら体力勝負で両サイドともおさめさせて頂いた。余談だが、この御嵩ゆきは5500系だけが御嵩へ行き、7000系は犬山止めだったはずである。その後、御嵩まで入るパノラマカーの運用が出来て当時のネット上でも話題になった記憶がある。

 車齢が40年を超えても全車健在、2両と4両で優等から普通まで使いやすいことから本線系統の全線で重宝されてきたのだが、2000年のいわゆる「東海豪雨」で水没した5505編成が不慮の廃車となって以降、使用線区の1つだった小牧線への地下鉄乗り入れ用300系の導入に伴う置き換えで淘汰が始まり、5509編成は一足早く2002年で廃車となった。結局撮ったのはこの時が最初で最後だったはずである。

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

最末期の白帯特急
特急新可児新鵜沼
1999.2.7 名鉄豊川線 八幡〜国府特急新可児新鵜沼
1999.2.7 名鉄豊川線 八幡〜国府

 ながらく全車指定席特急として活躍してきた7000系・7700系白帯車であったが、これを撮影した約3か月後の5月の改正で1600系が導入されることにより、特急運用からの離脱が決定していた。当時、7700系は豊川稲荷への多客期輸送に伴う特別ダイヤでの臨時特急しか特急運用がなかったので、これが終れば7000系より一足先に特急から引退することになっていた。たしかこの年の臨時特急での白帯車の特急自体、この新鵜沼・新可児〜豊川稲荷の併結列車2往復だけだったような記憶がある。

 さて、部品セールになると「緑色を見るとみんなの目の色が変わる(笑)」と言われる全車指定席特急用の緑色行先板を掲げている7700系、7000系であるが、実は最後の最後で少しだけ変化が起こっていた。というのも、以前は観光地ゆきの特急ならその観光地、主要都市ならそれが愛称的にメインに表示され、行先駅名がそれと異なるなら添え書きされるのが一般的であった。なので、以前なら新鵜沼ゆきなら「犬山」とメイン書きされそばに小さく「新鵜沼」、新可児ゆきは「日本ライン」のそばに「新可児」と小さく書かれていた。が、この最後の最後のシーズンになって単に行先だけ表示した行先板が新調されて掲出されていたのである。まあ最初見たときは、特に地元でない私など「日本ライン」なんて書かれても「?」だったのだが、交換されたらされたでなんか普通になったなーと物足りなさを感じたように思えたものまた事実だった。勝手なもんだ(笑)。なお、「西尾 吉良吉田」とか「津島 佐屋」だった定期の白帯車特急も単に「吉良吉田」「佐屋」に変わっていたので、どこかの時期で一斉に表示形式の変更が実施されたのだろうと推測される。

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

普通新名古屋ゆき
5500系普通新名古屋ゆき
1999.7.8 名鉄名古屋本線 神宮前

 名鉄名古屋駅はターミナルでありながらホーム3面2線で折り返しが出来ない。そのため、名古屋までの運転でよくても折り返し設備のある栄生や神宮前まで客扱いを行うのが一般的である。
 しかし、通常なら栄生ゆきにしそうな新安城始発の下りでありながら、新名古屋で運転を終了する列車がかつて平日朝に1本だけ走っていた。それが、この列車である。撮影当時の99年ダイヤでは、751レ・新安城620→新名古屋713というダイヤであった。
 このときは、前日お別れ運転キャンペーンのような形で走っていた小田急NSEこと3100形の撮影を終えて「ムーンライトながら」で名古屋に着いており、そのまま名鉄の朝ラッシュを撮るものの、昼からの大学の講義に出るため朝7時半(まさにブログ序盤に記事にした急行大野町ゆきまでだった)で撮影を打ち切り、慌てて在来線で帰るという強行スケジュールだったように記憶している。今見れば個人的にも大好きだった5500系でしかも1日1本のレア行き先、何があろうと編成で撮るはずの列車、しかしこんな撮り方ということはおそらくチェック漏れしていたのだろう。5500系もいない今となっては悲しい。リベンジを誓ったもののタイミングよく(?)翌年のダイヤ改正で消滅していた。
 現在は快速急行以下で名鉄名古屋ゆきというのは毎日下り1本だけ存在しており、しかも準急なのだが、豊橋2308→名鉄名古屋2411。これは撮れませんわ…。
パノラマカー急行新安城ゆき
パノラマカー急行新安城ゆき
1998.8.22 名鉄名古屋本線 金山

 名鉄の夜は種別・行先の組み合わせがまた趣味的に面白くなる。路線距離の長い名鉄だけに、夜が更けるにしたがって、時間の関係、あるいは翌朝の運用にそなえて区間運転となる列車が現われてくる。そのひとつがこの当時夜に1本あった急行新安城ゆきであった。新安城ゆき自体は同駅が西尾線の起点でもあることから、厳密に言えば西尾線の線内運転列車でいくらでも撮れる(また、調べて気が付いたが、この当時本線の区間運転で午前中に新安城ゆきの普通が何本も設定されていた)。だが、急行運用となればいっきにレア度が増し、当時は平日・土休日ともこの1本しかなかった。しかもこの列車、パノラマカーの運用だったのである。
 東京への撮影旅行の折、「ムーンライトながら」乗車前の準備運動として金山で撮影したことがある。まあ、よくもまあ人の多い金山で撮ったものだと思うが。当時はパノラマカーや7700系といった方向板使用車も多数健在。それらは超スローシャッター手持ちで撮影していった(現像した写真を見ると我ながらよく手ぶれを目立たせず撮れたと思う)。で、いよいよお目当ての金山21時54分発、佐屋発新安城ゆき急行2144列車の登場である。方向幕車が来るとスローシャッターなら確実に幕の表示が飛んでしまうが、来たのはブック式行先表示板の車両。よっしゃ!と意気あがり…、まあもう10年も前の話なので時効ということで。土曜の夜10時前でホームには人の姿も少なかったので…バルブ撮影しました。失敗したくなかったのよ・・・。よく見ると微妙にブレはあるけど…。

 さて、「夜の急行新安城行きがパノラマカー」というのはその後数年は続いたように記憶している。しかも、平日はいわゆる「P4+P4」。重連8連での運転という超ネタ運用だったのだ。佐屋からは4両でやってきて、本線に合流する須ヶ口で4両増結という形だったのだが、これは逃してなるものかと平日の夜に須ヶ口へと行ったのである。須ヶ口にはまずふつうのパノラマカーが止まっていた。うまいぐあいに行先はブック式である。そこにもう4両のパノラマカーがやってくる。しかも、こちらは白帯車!おまけにブック式!!なんとなんとなんと!!!とビックリ仰天したのだが、次の瞬間奈落の底に突き落とされた。

 須ヶ口って8両編成撮れないんだよね…。ホームいっぱいいっぱいでとても撮れませんでした(号泣)

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

豊川臨白帯特急「名古屋」
豊川臨白帯特急「名古屋」
1998.2.1 名鉄豊川線 国府〜八幡

 豊川稲荷といえば東海地方で有数の初詣参拝の地である。名鉄では2005年まで大量の参拝客をさばくために年始から2月頃まで豊川線へ大量の臨時特急の運転や線内運転列車の増発を行う季節ダイヤを設定していた。そのうち、1999年までは特急仕様ながら定期運用では特急に入らなかった7700系が7000系白帯車と編成を組んで臨時特急として走る姿が見られた(99年までは白帯7000系の特急は定期で存在していた)。
 ちなみに98年は各方向へ白帯車特急が走っていたのだが、こちらは新名古屋止めの特急である。名鉄は基本的に行先が列車名のような形を取っており、そのためか「新名古屋」駅ゆきでも系統板は「名古屋」とだけ表示されていた。白帯車の定期運用で「名古屋」があったような記憶はなく、臨時だけでしか見られない運用であった。

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

一部特別車 特急新名古屋ゆき
一部特別車 特急新名古屋ゆき(旧幕)
2003.--.-- 名鉄名古屋本線 金山

 いまだに「新名古屋」と言ってしまいそうになるが、名鉄の大ターミナル、名鉄名古屋駅はターミナルといっても棒線の駅である。ほとんどの優等列車が名古屋へ向かって走るといっても過言ではないだけに、「名古屋ゆき」があっても不思議ではないが、名鉄名古屋駅が列車の折り返しや留置の機能を持っていないために、案外「名古屋ゆき」というのは少なく、名古屋止めにしたい列車でも一般列車なら神宮前や栄生、須ヶ口などを行先にするケースが多い。名古屋ゆきとしているのは一部の全車特別車特急が中心である。しかし、1000系だと行先表示がないし、1600系や2000系(名古屋ゆきあるかな?)だと行先表示はあるがちょっと小さい。

 ところが例外というものはあるもので、画像は2005年1月改正前まで土・休日の早朝に1本だけ存在していた一部特別車の特急新名古屋ゆきである。63レ・豊橋553→新名古屋645というダイヤだから、見ようと思わなければ見れない列車であった。1200系なのでハッキリと「新名古屋」の行先表示が見える。あの頃もそれなりに達成感はあったのだが、今となっては「もっと撮りたかった…」と思える被写体であった。この時はひょんなことから存在に気づき、その後たしか東京から「ムーンライトながら」で帰ってきて、神宮前の豊橋方ホーム先端で撮ろうとしたものの、何かで手間取って間に合わず、泣く泣くホームで撮ってたように記憶している。

一部特別車 特急新名古屋ゆき(新幕)
2004.--.-- 名鉄名古屋本線 神宮前

 で、次の年再チャレンジしたもののこのときは空港線開業を控えて字幕の英字入り化の真っ最中。結局このとき来た1200系は交換済みで新幕でしか編成写真は押さえられなかった。ちなみに、これを撮った時には新名古屋〜常滑に午前中走っていた全車特別車特急で1600系が入っていたので、こちらでも「特急 新名古屋」を見ることができた。

 空港線開業後、名鉄は全車特別車特急を空港への快速特急のみにして、特急は一部特別車を基本とする計画である。河和・知多新線や西尾線の特急は名古屋止めの列車が多いことから、今後は名古屋ゆき表示も多く見られるようになるかもしれない。ちなみに、名古屋止めの一部特別車特急は現在平日朝に2本走っており、時間も8〜9時頃なので昔よりも捕捉しやすいのではないかと思う。
築港線の3300系
築港線3300系
1998.2.2 名鉄築港線 大江

 一昔前の名鉄は吊り掛け駆動車両がまだ多数活躍する大手私鉄としてファンから一目置かれていたが、さすがに90年代に入ると数を減らし、現在は車体更新が比較的最近だった瀬戸線の6750系のみが残っている。そんななか、2003年まで残っていたのが、旧型車の吊り掛け駆動に6000系に似た車体を付けた3300系である。名鉄の一般列車には珍しい3両編成ということで、ローカル線区の線内運転の普通列車や、画像の築港線で走っているのがおなじみであった(昔は同じ駆動方式の吊り掛け車(3300系は「AL車」(間接自動制御車)と呼ばれるグループなので、他の「AL車」と連結できる)と組んで本線運用もしていたらしいが、私が撮るようになった頃には本線の吊り掛け車は3300系しかいなかった)。
 築港線は大江〜東名古屋港間1.5キロの超ミニ路線で、完全に通勤用の路線である。そのため列車は昼間は走らない。また、かつてはその特殊性ゆえに他では見られない編成が走ることでおなじみであった。本線につながる列車のない築港線ゆえに3300系もすんなり溶け込めていたように思う。行先表示幕には「大江」も「東名古屋港」もないため、種別の「普」だけを出して行先表示は行先板を掲げて運転していた。
 3300系の全廃によって、築港線の電車も交替した。現在はぐっと若返って最新鋭のステンレス車・3150系が入ることもあるらしいが、あいかわらず「大江」も「東名古屋港」も行先表示できないため、プレートを車掌台に吊って走っているそうである。
白帯P車 急行蒲郡
白帯車 急行蒲郡ゆき
1997.--.-- 名鉄名古屋本線 金山

 模型再開により自分の中でまた名鉄熱が盛り上がったのでこちらも再開、古い写真をほじくり返してみる。

 かつては観光路線として特急も多数走っていた名鉄の蒲郡線であるが、利用客減少により98年よりワンマン運転に切り替わった。一時は廃止も取りざたされ、2005年に最後に残っていた特急1往復の廃止で優等列車は全廃され、本線からの蒲郡ゆきは現在、鳴海発で新安城まで準急の1本が平日朝に運転されるのみとなった。
 この画像はワンマン化直前、まだ昼間時に残っていた本線からの蒲郡直通の急行に7000系白帯車が入った時の画像である。ホーム撮りしているが、この時はお昼時で、ホームの立ち食いきしめんを食べていたらいきなりこれが来たので慌てて撮った1枚である。ゆえに少々ブレ気味。
 この画像は大昔に親サイトで取り上げたことがあるのだが、その際来訪者の方より、「この系統に白帯のパノラマカーの運用はなかったので(実際西尾線直通系統は6000系列のイメージが強い)代走ではないか」とのご指摘を頂いた。何気ない記録ってホント大事である。
パノラマ区間運転
富貴−内海
2003.--.-- 名鉄知多新線 知多奥田
富貴−河和
2003.--.-- 名鉄河和線 富貴

 名鉄の代名詞、パノラマカー7000系も登場からかなりの年数が経った。長く第一線で活躍してきたのも今は昔、近年では優等列車で見られるケースは昔ほど多くはなくなり、普通列車やヘタすれば車庫でお休みというケースのほうが多くなってきた。進化型だったはずの7500系が2005年で姿を消し、残る7000系も徐々に廃車が行われつつある。

 画像は本線とは遠く離れた河和線・知多新線の末端で早朝に細々と普通列車として走る7000系である。短い区間を往復するだけなので行先板を付け替える手間を省くため、行先ではなく運転区間を表示した普段あまり見られない表示板を出していた。記事掲載時点でもこの運用はあるらしいが、空港線開業時に行先板が大規模に整理されたらしく、現在は画像のような手書きのような書体ではなく丸ゴシック文字になっているのだという。
最後のいもむし急行
いもむしの急行
2003.8.-- 名鉄各務原線 羽場

 「パノラマカー」とともに名鉄の代名詞的存在であった3400系。昭和12年生まれの美しい流線型スタイルはその風貌から「いもむし」と呼ばれ親しまれた。同車は2003年8月のさよなら運転をもって現役引退となったのだが、ファンの集中を避けるためかさよなら運転は約1ヶ月に渡った。緑の濃淡塗装となってからのホームグラウンドであった広見線での普通列車が主であったが、最後のファンサービスとばかり画像の各務原線の急行運用が1往復組まれており、吊りかけモーターをうならせての力走を見せてくれた。種別板差しにはさよなら運転のヘッドマークが入っていたのだが、急行運用の際にはもちろん「急行」板に差し替えられ、変わって普通運用では下ろされていなかった日よけに「惜別」の文字が入れられていた。

 名鉄の歴史に残る車両ということで3400系は引退後もしばらく車庫で留置されていたのだが、最終的に2両のうち1両は保存し、1両は解体という形で決着したようである。