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鉄道写真歴20年くらい?撮りだめた写真を掘り返してみる。
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原型で残った6300系
原型の6300系
2010. 5. 1 阪急京都本線 洛西口

 1975年に登場し、運用される阪急京都本線のみならず、阪急全体の顔とも言えた特急形の6300系。登場時の京阪間ノンストップ運転を背景に、居住性を重視した車両構成は、その後の特急を取り巻く劇的な変化を背景に、次第にスタイルに合わない車両となっていった。また、大半の編成が登場から30年を大きく越えていくなかで老朽化も進んでいたのであろう、とうとう汎用性も考慮した3扉クロスシート車の9300系へ置き換えていく形で引退がはじまり、2008年から廃車も始まった。また、京都線にはいまだに昭和30年代の生まれである2300系も現役であることから、6300系を4連化の上リニューアルを施し、嵐山線へ転用されていき、最後まで特急運用に残った6350Fも2010年2月に通常運用で行われた引退運行を持って京都線特急から姿を消した…はずだった。

 が、恒例である春と秋の嵐山への行楽輸送の際に、その6350Fが梅田~嵐山間の快速特急として1往復走行する姿が見られた。編成こそ嵐山線に対応して6両に減車されたものの、4連化された編成とは違い、車内も改装されることはなく京都線特急時代そのままの姿を維持している。駅にははっきりと6300系とはいわないまでも、運用列車には2扉車である旨の掲示も出るので、どれが6300系運用なのかは容易に判別でき、また運転スタイルも淡路~桂間ノンストップと往年の運転スタイルに近いものとなっている(臨時列車なので速さは別として、だが)。図らずも「懐かしの京都線特急」みたいな動態保存的運転が定期的に見られるという状況になった。しかし、イベントではなくあくまで行楽輸送の中の1本なので、荒れることもなく堪能することが可能である。

 阪急は比較的鉄道ファンの喜ぶようなネタを繰り出してくることがあるのだが、この6350F、普段は一切動くことがないようで、今のところまさに行楽期専用の状態である。ただ、いつまで走るかはまったく未知数であり(次があるのかもわからない…)、気になる人は早めに堪能しておいたほうがいいかもしれない。また、2010年秋の運行が終わった頃に一部報道で、京都線に6両編成の観光特急を定期で走らせる構想があることが報じられ、どうも6300系を改装してそれに充てるということが確定的なのだという。となると6350Fはそれに変わるのか?と思ったのだが、実は6300系はもう一編成残されているという話らしく、ひょっとすると今後の6300系は、原型と観光仕様、そして嵐山ローカルの3本建てというなんとも興味深いラインナップが見られるようになる、のかもしれない。
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テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

黒幕急行
黒幕急行
1998.--.-- 阪急神戸本線 梅田

 マルーン1色の7000系、天井から吊り下がるパタパタ発車案内…と消えてしまったものばかりであるが、今回取り上げるのは阪急の種別方向幕である。現在は宝塚線中心に見られる種別幕「急行」は「黄色地に黒字」であるが、その1世代前(細かく言うとこの間に2つバージョンがあるが)の急行は「黒地にオレンジ文字」であった。
 Wikipediaによると、「黒地にオレンジ文字」の急行表示は1982年に登場し、それまでの「白地に赤字」の初代急行表示を置き換える。しかし、「黒地に白字」の普通との区別がつかないケースがあるという理由で1992年より快速急行と同じ「黄色地に黒文字」へと順次交換されていったとなっている。…こう書くと表示の書式を揃えるのは全社的に一斉に行われるもの、という風に思ってしまいがち、実際私も大学通学で1997年から大阪へ日常的に向かうまでは阪急について断片的にしか知らず(インターネットはまだまだ普及していないし、ブロードバンドなんて言葉もなかった頃である)、「黒地に黄色文字」の急行は古い電車本の中のもの、とばかり思い込んでいた。ところが実際通うようになると、まだ車両によっては「黒地黄色文字」の急行が走っており、「ええっ?」と思った。…なんてことはない、表示の変更は順次変更されていたというのが実際のところで、5年たってもまだ全車完了しているわけではなかった。まあさすがに英字がないとか白地に赤字の急行はなかったが、種別と行先でフォントが違ったり、編成の中でもバージョンがバラバラというのはザラで、私鉄の中でもトップクラスの質という印象があった阪急のイメージが少し崩れた記憶がある(この頃京都線ではまだ5300系の一部で運行標識板を使った急行も最後の活躍をしていた)。とはいうものの、希少性の高く、なんだかちょっと特別な感じのする「黒幕急行」を目撃するとうれしかった覚えがある。

 ただ、例によってロクな写真を残していないのだ…。はっきりいって梅田で撮った駅撮りしかない。まあこれに限らないのだが阪急の場合通学利用だったため、趣味的な視点であまり見てなかったというのが正直なところである。というか、当時は金もないのであまり写真も撮れないし、重い一眼レフをラッシュに巻き込まれながら通学で持っていくわけにも行かず、朝は学校へ行くだけで精一杯、夕方はノンビリしてると夕方のJRのラッシュに巻き込まれて自宅に戻るのがしんどくなる(笑)という今思えばなんとも鉄根性のない生活でお宝を逃していた。梅田の駅撮りなどはたまたま余裕があって、たまたまコンパクトカメラを持っててという時の写真である。なにやってんだか…当時の俺。

 通学を始めた頃はまだ宝塚線で「黒幕急行」をそこそこ見られた覚えがあるが、97年11月の宝塚線ダイヤ改正を機に全消滅、その後は神戸線の7002,7004,8008と京都線の8302が最後まで黒幕急行を維持していた(10年以上たってるが、なぜかこの4本の車番は覚えていたな)。当時某大学の鉄道趣味サークルにいたのだが、当時の内輪向け会報に黒幕急行の研究発表があったことを思い出し、引っ張り出してみると、99年になって相次いで幕交換が行われて最終的に消滅した、とのことである。

 余談。画像での7004は「急行 高速神戸」を表示しているが、後方のパタパタ発車案内はどうみても行先3文字(そういやパタパタの急行は後付け以外黒地黄色文字を維持していたな…今でも見られる駅あるんでは?)。これは単に列車側の指令ミスで、程なくこのあと「新開地」に表示を直してました(そっちの写真はブレてるのでお見せできません(笑))。

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通勤特急 須磨浦公園ゆき
通勤特急 須磨浦公園ゆき
1998.--.-- 山陽電鉄本線 月見山

 神戸高速鉄道の開業以来、阪神と山陽の直通特急がスタートした1998年2月まで、阪急も一部列車が山陽の須磨浦公園まで乗り入れしていた。ただ、阪急の列車は早い段階から8両編成が基本になっていたにもかかわらず、山陽電鉄の設備の都合上須磨浦公園ゆき(一部東須磨折り返しもあった)は6両編成で運転せざるをえず、これが輸送力上かなりネックになっていたといわれている。ラッシュ時には三宮まで増結したり、ついには須磨浦公園直通を普通列車中心にすることも行われていた。

 一方、通勤特急は阪神・淡路大震災後の1995年6月のダイヤ改正で新設された列車である。特急停車駅+塚口停車という設定で平日朝ラッシュに登場、このときわずかながら通勤特急の須磨浦公園ゆきが設定されたが、前述のとおり3年弱で山陽乗り入れが中止されたことにより、わずかな期間の運転にとどまっている。画像は改正前ギリギリになって撮ったもので、まあ地味ながら葬式鉄的な撮影であった。

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