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鉄道写真歴10ウン年。撮りだめた写真を掘り返してみる。
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EF65 21
EF65 21
1998.4.3 JR山陽本線 竜野〜相生

 EF65の0番台というと、貨物列車用というイメージが強い。取り上げられることの多い旅客列車に比べ、貨物列車を趣味対象にする人はなかなかの通という印象があったものだが、まだ国鉄時代の色を多少なりとも残す機関車がいることや、ネットで希少な機関車の情報が容易に手に入ることも影響したか、最近は追っかける人も多いように思う。

 さて、この画像は1998年のもの。今やEF65の0番台で国鉄色を残す車両も数えるほどになってしまったが、この当時はまだ国鉄色を残す未更新のEF65もまだ比較的残されていたことからまだネタ扱いはされていなかったように思う。余談であるが、所属していた某鉄道趣味サークルでは「窓のHゴムが黒か白か」なんていう枝葉末節で遊んでいたのが懐かしい(笑)。そんな中でも当時別格の珍車だったのがEF65 21号機であった。この車両、一旦国鉄清算事業団ゆきになっていたのだが、JR貨物が購入し復活させたという経緯を持つ。
 とんでもない逆光写真ではあるが、それゆえ右に寄った前面車番プレートが目立ちませんか?。このほかにも飾り帯がなく、側面の車番プレートも運転台に設置され、JRマークもそちらへ移されている。で、当初この車両は車番プレートの移設の際に今普通に見られる白と青の更新色に塗られていたいわば試験塗装車のような存在であった。当初更新工事施工車はこの21号機と同じように塗装の更新色化と表記類の変更が実施される予定だったと言われている。ところが、結局これは企画倒れに終わり、更新機については更新色化は行われたものの車番や飾り帯はそのまま存置ということになってしまった。
 こうなると21号機の存在が中途半端になってしまう。表記の変更は行ったものの、更新工事は受けていない。ところが身にまとった塗装は更新機用の塗装となってしまったため、結局21号機はプレートはそのままで塗装が国鉄色に戻ってしまったのであった。飾り帯がない国鉄色はこんなに間が抜けた顔になるのかと思ったものだが、ともかくその1両だけの風貌が超ネタ機として注目を浴びたのである。
 ま、ただ地元に近い岡山機関区所属とはいえ運用範囲は幅広く、0番台だけで何十両もいた時代、補足するのは困難も困難。気にはしていたが事前情報なんて今と違って簡単に入らないためこの時撮れたのは本当に偶然のラッキーであった。確かブルトレ撮影のために朝6時前にスタンバッてたらたまたま来たという話である。21号機はこの撮影の8か月後に廃車となったため、運用中に出会えたのはこれが最初で最後だった(あとは、JR貨物の機関区公開イベントの際に展示されている姿を見ただけ。この時は意味なく「みずほ」のヘッドマークがついていたが…)。
 仲間が減ったり、色が変わってレア度が増す機関車は多いけれど、外観だけでなく施策に翻弄されて外観を変えられてしまい、結果ネタ機となった、なんていうエピソードも持つような機関車はもう現われないのではないだろうか。

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

ストレート快速京都号
straight.jpg
1998.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生

 山陽本線姫路〜岡山間は特急を除くと各駅停車のみの運転で約1時間20分かかる。通常は利用客が決して多くない区間でもあり本数も毎時1本で編成も短い。しかし、休日などはやはり県境を越える利用客も多くなるため混雑している。新幹線だとこの区間は30分、岡山〜相生だけだと20分(在来線約1時間)で走るため、この時間差を考えると新幹線利用も惜しくない気がするのだが、それでも在来線利用客は多い。このためJR側もよほどのピーク時になると網干総合車両所の長い編成の車両を岡山電車区に貸し出して混雑緩和を図ることがあるのだが、以前はこんな列車が走ったことがある。

 画像はなんの変哲もない221系12両編成の快速列車に見えるが、こんな列車はこの区間では通常走っていない。記憶もあやふやでネット上にも資料がないのだが、この列車「ストレート快速京都号」という臨時快速で、岡山〜姫路間ノンストップ運転というものすごい快速列車だったようなのだ。ただ、手持ちの時刻表や「鉄道ダイヤ情報」を見てもこの列車に関する記事がなく、詳細は不明である。別の時期だったかに姫路駅で同じく姫路〜岡山間ノンストップの快速を夕方に目撃したことがある。確か定期の新快速を岡山まで延長して姫路以西ノンストップ、という形だったと思うのだが、これについてはまったくもってガラガラだった記憶がある。これも「ストレート快速京都号」だったのかは定かではない。

 走らせるならもっとPRすればいいものだが、記憶の限りではPRなんて皆目やってなかったように思う。しっかり走らせれば需要は間違いなくある列車だが、新幹線との兼ね合いを考えればなかなか難しいところである。
快速チボリ号
快速チボリ号
1998.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生

 1997年、JR倉敷駅北側に開業したテーマパーク「倉敷チボリ公園」へのアクセスを担うべく1998年から姫路〜福山間の土・休日運転の快速列車として登場したのが快速「チボリ号」である。ヘッドマークをつけた221系4両編成が使用され、姫路発が朝、福山発が夕方に各1本運転されていた。チボリ公園は倉敷だが、岡山から快速「サンライナー」の定期スジに乗っける関係上福山まで運転しており、その後夕方の姫路ゆきとなるまでは「サンライナー」でアルバイト運用していたように記憶している。無論、チボリ公園への観光客も利用していたとはいえ、通常各駅停車しかない姫路〜岡山間においての貴重な快速列車ということで、青春18きっぷの利用者なども愛用していたといわれ利用客数は好調だったようである。
 しかし、2001年春頃からは徐々に運転日が減らされ始め、ついに2002年4月7日の運転を最後に以後は設定がなくなってしまった。肝心の「チボリ公園」の入園者数が低調ということもあるが、「速達客を新幹線に振り向けようとしているのではないか」などといううがった見方をする向きもある。

 なお、まれにであったが、221系ではなくサンライナー編成の117系が代走するケースがあり、その際はヘッドマークではなく赤い「快速」幕を表示して運転していた。
「チボリ号」117系代走
----.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生

「マリンライナー」後の213系
JR西日本213系
2004.--.-- JR赤穂線 大富〜西大寺

 国鉄最後の新形式電車となった213系は、JR西日本とJR東海に所属している。JR西日本の車両はながらく快速「マリンライナー」として瀬戸大橋線の顔の役割を務めてきた。2扉転換クロスシートを装備し都市間連絡の快速としては十分な車両であったが、投入から15年を経過し2003年10月のダイヤ改正でJR西日本223系5000番台+JR四国5000系に一気に置き換えられ、「マリンライナー」からは引退した。
 しかし、213系自体はまだまだ廃車するほど老朽化していたわけではなかったため、今度は山陽本線など岡山地区のローカル列車に活躍の場を移すこととなった。ただ岡山地区は2両での運用も多いことと、一部の編成は先頭車がパノラマグリーン車でローカル転用できないことから、一部中間車の先頭車化改造が行われ、改造先頭車はオリジナルよりも白い鋼製部分の多い姿で再登場した。ちなみに、改造先頭車の正面種別幕は、オリジナル車のような種別に英字が併記されたものではなく、岡山電車区の在庫と思われる115系から取り外された中古の字幕が取り付けられていたため、支線運用では路線名入りのカラー表示幕が掲出される編成や、国鉄時代を思わせる「普通」表示が出た編成(画像のもの)など細かいバラエティーに富んでいたが、2006年3月に正面・側面ともにJR西日本標準タイプの字幕へ置き換えられ、今は見ることができない。

115系1600番台
115系1600番台
2004.--.-- JR赤穂線 東岡山〜大多羅

 90年代終わりくらいからであろうか。それまで車種のバラエティーに乏しく趣味的にさほど面白くなかったJR西日本岡山電車区が他地区からの転属や115系の改造を目まぐるしく行うようになり、何がどうなっているのかわからないくらいになった時期があった。そんなさなかに登場したのが115系1600番台である。
 元は115系の4両編成だった車両のうち、元々のモーターなし先頭車を外し、中間電動車だった車両に運転台を取り付けて3両編成化。このとき先頭車化した車両をクモハ115−1600番台と改番したのである。短編成化のための中間車の先頭車化改造は国鉄時代から行われていたが、JR化後初期まではふつうの先頭車の顔を接合して一目では改造車とはわからない雰囲気であった。ところが、2001年に丹波・但馬地方の山陰線・福知山線ワンマン運転用に改造された113系3800番台から、中間車への先頭車化改造では切妻の中間車の車体のまま窓をつけた簡易な改造ですませるようになり、さながら旧型国電のような無骨な姿で登場するようになった。ただ、当初の113系3800番台に比べると、登場するたびにだんだん顔が洗練されてきているのが可笑しかったりする。115系1600番台も切妻の車体ながら貫通扉がついてよくまとまっている風貌をしていることもあって、異端といっても驚くような違和感はあまり感じられない。
蘇った「あいづ」
快速あいづライナー
2003.8.20 JR磐越西線 磐梯熱海〜安子ヶ島

 かつて磐越西線といえば特急「あいづ」や急行「ばんだい」など上野直通列車が数多く走る路線であった。それが、東北新幹線開業により、上野直通の「あいづ」こそ1993年まで残ったが、主には郡山での新幹線連絡による快速「ばんだい」が輸送の主力となった。
 一方、「あいづ」の上野直通が取り止めとなった1993年の改正からは郡山〜会津若松の特急「ビバあいづ」に衣替えし、車内を改装して塗装も奇抜にした専用編成が使用された。が、2002年末に国鉄特急色の編成が替わって使用されることになって名称も元の「あいづ」に戻り、編成こそ短くなったものの、かつての猪苗代湖と磐梯山をモチーフにしたトレインマークも掲げる上野直通時代の姿に先祖帰りした。
 しかし、2003年秋からは特急から快速に格下げされ「あいづライナー」の名となる。ところが車両は485系のままで特に変化はなく、見た目はどこからどうみても特急なのに快速列車という状態となった。ただ、この形は10ヶ月ほどで「あいづライナー」は改正前の2004年8月中旬に運休となりそのまま消滅した。
リバイバル?いしづち
キハ181いしづち
2002.11.2 JR土讃線 琴平〜塩入

 2002年、JR四国はJR西日本から国鉄特急色で残るキハ181系を借り受けてのいわゆる「リバイバル運転」イベントを何度か行った。キハ181は四国初の特急として使用された車両であるが、JR発足後に新車キハ2000系列を増備し、電化を推進したことで1993年には早くも姿を消しており、イベントをしようにも借りなければ仕方なかったのである。国鉄色キハ181はあっちこっちのリバイバルもので当時はまさにひっぱりだこであった。

 ただ、国鉄特急色の四国特急は「しおかぜ」と「南風」しかない。それだけでも十分なのだが、このときはリバイバル特急で四国一周といったツアーが組まれていたそうで、この画像のようにJR化後に走った「いしづち」までもリバイバルとして組み込まれたのだった。ちなみにこの日は「うずしお」として高松〜徳島、「いしづち」として徳島〜松山(徳島・土讃線経由)、そして「しおかぜ」で松山〜高松というルートだった。「うずしお」は大昔に山陽本線の電車特急として走っていたこともあるが、国鉄時代の高松〜徳島は急行「阿波」である。「いしづち」に至っては高松〜松山・宇和島の特急なのになぜ徳島発なのか?という話になるが、「いしづち」の名は昭和38年から5年ほど今は亡き小松島線の小松島港から徳島・土讃線経由で松山を結ぶ準急・急行の愛称として使われていたことがあったので、今回はそのリバイバルも兼ねているのだ…って無理があるな。

 ということだからなのか本来のヘッドマークは白無地で往年の予讃線急行のようなツートンの円板マークが取り付けられていた(「うずしお」は現行マーク、「しおかぜ」は国鉄時代のマークで走った)。撮ったあとはただただ「…なんだありゃ??」という印象しかなかったのが正直なところである。撮った時は前述のような経緯があるとは知らなかったので、無理やり走らせたための苦肉の策にしか思えなかった。余談だが、個人的には「いしづち」新設後数年だけ使われたほのぼのした風景イラストのマークでも使って欲しかったのだが。あのシリーズなんでやめたんだろ?
元禄繚乱
113系網干車「元禄繚乱」ヘッドマーク
1999.--.-- JR山陽本線 英賀保

 1999年のNHK大河ドラマは「忠臣蔵」をテーマにした中村勘九郎(現・中村勘三郎)主演の「元禄繚乱」であった。忠臣蔵といえば赤穂。そこでこの年のJR西日本は放送期間中に赤穂観光をPR、割引切符の発売をはじめ、以前から運転されていた土休日運転の臨時列車「赤穂備前ホリデー」号にプラスして大阪〜播州赤穂間の「赤穂レジャー号」も増発、そして京阪神を走る各列車にこの「赤穂 元禄繚乱」のヘッドマークが取り付けられた。当時は通勤型から新快速までとにかく「元禄繚乱」。赤穂へ姿をみせる列車だけでなく、関係ない路線にまでこのヘッドマークがついていたようだ。

 画像は網干電車区所属の113系である。JR神戸・京都・琵琶湖線を走る113系は主に網干と宮原電車区にいたのだが、宮原の車両は塗色が本来より明るめでヘッドマークも小型、方向幕は黒地の新式になっていたのに対し、対する網干車は塗色も本式どおり濃くヘッドマークは大型、しかも原型といえる白地の行先表示幕を残していた。網干車のほうがファン受けしていたような気がする。
 このときは167系の団体列車を取るために待っていて、露払いのような形で前走りしてきた車両を何の気なしに撮ったのだが、こういうのも後から見返せば貴重な記録である。
キハ400系急行「利尻」
急行「利尻」
1998.8.-- JR函館本線 札幌

 大学時代にはじめて北海道へわたった。大学の鉄道趣味サークルで「合宿」と称した旅行で行ったものである。画像は当時毎日運転されていた函館ゆきの夜行快速「ミッドナイト」を待つ合間にバルブ撮影した稚内ゆきの夜行急行「利尻」の姿である。長時間シャッターを開放して暗い中撮影するバルブ撮影は正直苦手であまり成功しないのだが、このときはめずらしくうまくいった。

 「利尻」は当時キハ40を急行用に改造したキハ400系に14系客車をつなぐという当時でも異色の編成となっていた。かつては14系客車と座席車というよくある夜行列車のスタイルだったのだが、この頃はすでに機関車牽引の客車列車が敬遠されつつあった頃である。しかし、寝台車の需要を無視できず、結果こういった気動車とつなげるという苦肉の策がとられることとなった。ただ元々キハ40だった車両が改造されているとはいえ急行に使われていることにその頃は違和感を感じたものである。「利尻」はその後特急格上げとなり寝台車とペアを組む車両は特急形のキハ183系に変わる。このためキハ400系は使える急行列車がなくなったために結局は元の一般型キハ40系に戻される改造を受けたり、お座敷列車に改造されていった。また夜行列車退潮の流れは北海道にも流れ、特急「利尻」は2006年3月より臨時列車に格下げとなっている。

臨時寝台急行「霧島」
臨時寝台急行「霧島」
----.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生

 夜行列車の斜陽化が叫ばれて久しく、もはや末期状態といえなくもないが、それでも90年代半ばまでは多客時の臨時寝台列車の運転が残っていた。その一つが新大阪〜西鹿児島間運転の20系の寝台急行「霧島」であった。
 もともとは昭和61年11月改正で消滅した寝台特急「明星」が臨時格下げされ20系で運転されていたのだが、初代寝台特急専用客車といっても旧式となった20系は特急料金を取る水準ではないとして寝台急行「霧島」に衣替えしたものである。このとき同時に同じく20系で運転していた「あかつき81・82号」は寝台急行「雲仙」、「あさかぜ81・82号」は寝台急行「玄海」となった。ちなみに「明星」「あかつき81・82号」は手書きのような定期列車と同じイラストのテールマークが掲げられていたが、「あさかぜ81・82号」は往年の20系特急を髣髴とさせる文字マークでの運行であった。

 同じ新大阪発着でも「雲仙」は通過が5時すぎでとても撮れず1度も見ることはなかったが、「霧島」は上りの新大阪到着が遅く、撮影地付近は午前8時半過ぎに通過するうえに運転期間も比較的長めで、余裕で撮影できた…はずなのだがあんまり写真がない。なんか写真を撮らず見送りだけした記憶がなんだかあるのだが…。もったいない。「明星」時代も何度となく見送っただけで1枚も撮ることはなかった。まあ、今と違って中学生で一眼レフなんてまずムリな頃である。コンパクトカメラで走行写真なんてかなり難があった。

 ちなみに20系臨時寝台急行の運転は平成8年で打ち切られたのだが、「霧島」は平成7年に「桜島」に改称している。これはJR九州が宮崎〜西鹿児島(当時)間の特急を「きりしま」としたことに伴う変更と言われている。

 余談だが、「霧島」の牽引は通常EF65 1000番台であったが、極めてまれにEF66が使われるケースがあり、偶然撮ることができた(この当時はネットもないし携帯もない。人づてでしか情報なんて入ってこない頃である)。ただ、これもコンパクトカメラで腕がない身、小さく映っていたのをパソコンで引き伸ばした画像である。
EF66+「霧島」
----.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生