でんしゃのしゃしん
鉄道写真歴10ウン年。撮りだめた写真を掘り返してみる。
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両矢印だった頃
8000系未更新急行小川町ゆき
1997. 8.-- 東武東上本線 川越8000系未更新準急川越市ゆき
1997. 8.-- 東武東上本線 川越

 東武鉄道は浅草基点の伊勢崎線系統と池袋基点の東上線系統に大別されるが、同じ東武鉄道でありながらこの2つの系統は微妙に違う点をもっていた。いろいろある中で目に付きやすいのが方向幕の行先表示であった。伊勢崎線系統がふつうに行先だけを表示するのに対し、東上線系統は画像の「池袋⇔小川町」のように「⇔」を使って運転区間を表示していた。これは方向幕が装備された8000系に始まった話ではなく、行先票(と東武では呼ぶらしい)を前面掲示していた頃からそうであった。方向幕なんて電動で一斉転換するのが今でこそ当たり前だが、この未更新8000系のように正面に手動の巻き取り装置しかない車両ばかりだった頃の名残で、簡単に言えば表示変更の手間を省くための運行区間表示だったそうである。

 撮影した97年夏が私の東京初遠征であった。当時はネットも不十分で知識もそんなになくお金もない大学に入りたての私。撮影も必要最小限だけ停車中の写真をカッチリおさめるだけしか頭になかった頃であった。ホームの先端から編成撮りしていればもっと見栄えも違っていただろうし、川越はたしかそれができる駅だったのだが当時はその手法を知らなかった…。ま、たしかこの頃だとなんてことないふつうの急行と準急だったのだろうが、今の視点で見れば8000系未更新で運行区間表示の旧書体なんてネタもネタである。種別こそ英字が入って(しかし英語と日本語のサイズが同じってなかなか珍しい)ちょっと雰囲気を崩してはいるが、この風貌ならもっと気にしてよかったようにも思えるが。当時はこだわりとか深く入り込む熱もなかったただの「私鉄好き」だったからな…。後々思えばこの近辺の年代はそれまでのいろいろなシステムが終焉を迎え、新しいものに切り替わっていく中で、最後の状態を見せていた頃だったように思う。あの時間がたっぷりあった大学の頃にもうちょっとしっかり鉄活動していれば…と思うことが多々ある。…まあもっとほかの事で後悔しろよと言われてしまいそうだが。

 なお、この両矢印表示は2000年11月いっぱいで使用を取りやめたとのことである。・・・ならもう2、3回くらい撮るチャンスあったような気もするが…。ま、今更しょうがないけど。

テーマ:鉄道写真 - ジャンル:趣味・実用

「快速連絡」
快速連絡
2001. 3.-- 東武日光線 上今市

 東武伊勢崎線・日光線にはながらく特別料金不要の速達列車として快速が1時間毎に運転され、浅草から東武日光、鬼怒川方面を結んでいた。快速は原則的に浅草〜下今市間で2方向の列車を併結運転し、下今市で分割して両方向へ走るのが基本であったが、まれに鬼怒川方面のみ運転する列車が設定されており、その際に東武日光からの連絡列車として東武日光〜下今市間に運転されていたのが「快速連絡」である。途中の上今市は通過し、東武日光からの利用客を下今市で快速に連絡させるための列車であった。といっても、快速利用者以外は乗車できないということはない。特急や(有料だった頃の)急行も鬼怒川方面へ行く列車が多かったことから、日光への利用客のために同様に「特急連絡」「急行連絡」という列車を出して利便性を確保していた。なお、この「快速連絡」は正式な種別なのかどうなのかはいまいちハッキリしない。

 「快速連絡」は2003年3月の改正で快速がすべて2方向併結となったことで設定がなくなった。快速自体もその後2006年の改正でほとんどが区間快速へ格下げとなっている。無論「区間快速連絡」なんてものはない。「○○連絡」は現在「特急連絡」のみが残っているが、2006年改正からは上今市にも止まるようになったそうで実質普通列車化されている。