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| 先代の快速急行(その3) |
 1998.2.1 名鉄豊川線 国府〜八幡 1999.2.7 名鉄豊川線 国府〜八幡
「先代の快速急行」として取り上げてきたのは定期列車であるが、臨時でも「快速急行」と称して運転された列車がある。その代表格といえるのが豊川線国府〜豊川稲荷間に正月期のみ運転されていた快速急行である。 豊川稲荷は全国でも有数の初詣場所であり、例年名鉄ではその旺盛な需要にあわせ、「正月ダイヤ」と称して特別ダイヤを組み、直通の特急を大増発してこれに対応。それに加えて運転されていたのがこの「快速急行」であった。国府〜豊川稲荷間で途中諏訪町のみ停車という設定。急行は豊川線内各駅停車となっているため別種別が必要となった。そのため「高速」があった頃は「高速」。高速がなくなると一時「全車一般席車の特急」という苦しい名称になったが、本線に快速急行が登場した時から快速急行として運転された。
車両はおおむね通勤型が使用されたのだが、6000系のように新一宮発などの定期の快速急行に通常使用されない車両には種別幕が整備されていなかったので上の画像のように小さな種別プレートを車掌台側に吊り下げて運転していた。この手のプレートは名鉄ではこの快速急行に限らず、過去にも方向幕がないときなど他の場面でも登場することがあった。ただ、たまには下の画像のように5500系などの行先に使われるような通常サイズの種別板が吊られることもあった。なお、極めてまれながら運行標識使用車も入ったことがあったようである。
 1999.2.7 名鉄豊川線 国府〜八幡
この快速急行は名鉄が正月ダイヤの際に配布していた臨時ダイヤの時刻表には掲載されておらずひっそりと運転されていたのだが、いつのまにやら運転されなくなった。豊川線の臨時ダイヤも年々縮小されていたのだが、空港線開業を控えた2005年の正月シーズンをもって設定を終了した。なお、現在の快速急行は豊川線乗り入れが行われている。
ちなみに、名鉄初の「快速急行」は知多新線沿線にある日本福祉大学関連の輸送の時に設定された列車であるといわれている。
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| 先代の快速急行(その2) |
 1999.8.23 名鉄名古屋本線 神宮前
先代の「快速急行」は新一宮〜常滑線方面ゆきの物以外にももう1系統、生まれも育ちもまったく別の列車が存在した。1990年のダイヤ改正でそれまでの「高速」が「特急」へ、「準急」が「急行」へ統合され列車種別が整理された。当時の特急は全車指定席であったのに対し、「高速」は特急なみの停車駅(当時特急は基本では通過だった国府宮や鳴海にも止まっていたが)で一般席車を使用する列車として分けられ、名古屋本線では特急・高速が交互に15分毎で設定されていた。しかし、JRとの競争の中でJR線へ乗り入れる豊橋駅への入線が毎時6本までと制限されているため、豊橋への指定席なしの速達列車は毎時2本というのは競争に不利となることから、特急と高速を組み合わせて「一部指定席」の特急を毎時4本として再編した。これにより一般席車による優等列車は急行に一本化され、中には常滑線で元々「高速」だったものを種別は急行にして停車駅は前のまま特別通過させて運転していたケースもあったが、ラッシュ時など輸送力重視のため指定席なしの速達列車も設定され、これは「全車一般席」の特急として運転されるようになった。
ところが、1995年4月ダイヤ改正で前述の新一宮発の快速急行が設定された際、全車一般席特急も快速急行へと組み込まれることになった。といっても、この改正時点では全車一般席特急は既に平日朝ラッシュ時に運転される新岐阜発東岡崎ゆきの1本だけとなっていたのだが、「全車一般席車の」特急というのも紛らわしかったのか、停車駅が同じだったこともありこの列車も快速急行を名乗ることとなった。結局は特急なみの速達列車で特別料金不要というアピールから列車種別を分ける必要性が出てきたわけである。なら「高速」でもいいんじゃないかという気もするが…。
しかし、本家の新一宮発快速急行がJRへの対抗策の目玉として増発、編成増強をしていったのに比べ、朝1本だけの東岡崎ゆきは増発もなく地味に走り続けた。車両は趣味的にはさほど面白みもない3500系8両編成。新岐阜7時30分発のダイヤは設定以来変わらず。所要時間は微妙に変化し、当初は列車番号「800」だったものが、2001年改正でスピードアップされて列車番号が「700」に変わっていた。新名古屋を通る列車は列車番号の頭が発車の「時」になっており、当初新名古屋8時ちょうど発だったのが、2001年より7時58分発となったことによる。それくらいの変化くらいしかないほど地味に通勤客輸送に徹していた。1999年改正で本家の新一宮発グループが全廃されたため、いよいよ快速急行は東岡崎ゆき1本だけとなったがあいかわらず影は薄かった。「快急」の列車種別表示も通常は運用に入ることのない編成には結局最後まで設定されず、少数派のまま。直接の利用者とファン以外にはどれだけ知られていたのかもはなはだ疑問、それほど存在感のない列車であった。結局2003年のダイヤ改正でこの快速急行のダイヤをほぼそのまま引き継いで豊橋ゆきの一部特別車特急が設定されることとなり、結局快速急行は8年ほどで一旦姿を消したのだった。ちなみに、この快速急行の特急格上げで通常一部指定席特急は通過する鳴海が不便をこうむるかと思われたが、代わりに設定された一部特別車特急は鳴海に特別停車したため、結局は変わったのは特別車が2両ついただけであった。現在も朝1本だけ存在する鳴海特別停車の特急は先代快速急行の面影である。
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| 先代の快速急行(その1) |

 いずれも1998.2.3 名鉄名古屋本線 島氏永〜国府宮
2005年1月改正で登場した現在の快速急行はそれまでの急行を踏襲したもので停車駅も多い。しかし、それ以前にも快速急行を名乗る列車は存在した。かつての快速急行はまさに車両こそ一般車だが特急並みの速達輸送を行う文字通りの快速ランナーであった。
国鉄がJRに移行して以降、並行する私鉄は国鉄時代には考えられなかったようなサービス向上策をとるJRの攻勢に苦戦するというケースが各地で見られた。名鉄もご多分に漏れず、JR東海が東海道本線に快速や新快速を頻発させるようになってからは特に名岐間でJRへの乗客流出が顕著になってきた。そのため1990年に全車指定席の「特急」と全車一般席車の「高速」を一部指定席の「特急」に一本化して特別料金なしでも乗れる最優等列車を15分毎運転に改めた。しかし運賃や所要時間でも負けているためなかなか乗客減が止まらない。そこて、主要駅である新一宮、国府宮の利用客に目をつけ1995年4月に導入されたのがこの「快速急行」であった。
快速急行は新一宮発で新名古屋までに止まるのは国府宮のみ。そして金山を出るとあとは普通に変わって常滑線方面(太田川、常滑、知多半田)へ向かうというもの。運転されるのは新一宮発の下りだけで名古屋方面から新一宮への上りの設定はなし。あくまで新一宮、国府宮と新名古屋や金山との速達輸送のためだけに設定された。というのも新一宮や国府宮の場合、JRを利用するとなるとやってくる列車がすでに大垣や岐阜からの客が多ければ着席できる保証がない尾張一宮か稲沢になるため、「新一宮始発の速達列車で確実に座れる」、というピンポイント的な発想の元設定されていた。ちなみにこの当時国府宮は特急が毎時4本中2本が通過していたため、それを補う意味もあったようだ。使われていたのは画像の特急増結用クロスシート車1800系2両編成か通勤型の3500系4両編成に原則固定。そのため「快急」の種別幕はこの両形式など一部にしか装備されないままであった(代走になるとプレートをつけて種別表示していたらしい)。ちなみに当時の快速急行と2005年からの快速急行とは種別幕のデザインが異なっており、当時はオレンジ地に白文字であった。
近年は関西私鉄を中心にこういった途中駅からの利用客向けのサービス向上が盛んに行われているが、この快速急行もまさにそういうイメージで設定されていた。しかし、実際は快速急行目当てではなくたまたま来たから乗る程度のもので大して効果はないように思えた。実際私も乗ってみたが乗客は少なかったように記憶している。平成7年の運転開始から改正毎に増発はされたものの多くて30分毎の運転。また、ダイヤが国府宮を通過する特急の3分前に新一宮を発車するダイヤ設定になっていたため新一宮では快速急行の次に特急が来る形となり、最速達列車の増発というイメージでも出ず、結果せっかく設定しても地味な存在になってしまっていた。
結局1999年5月のダイヤ改正で国府宮に全ての特急が止まることとなったのに加え、快速急行の存在自体も効果なしと判断されたのかこの新一宮始発の快速急行はここで消滅。JR対策の切り札はわずか4年あまりで姿を消したのだった。
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| 急行 大野町ゆき〜代走編〜 |
 1999.2.8 名鉄常滑線 寺本
名鉄は車両運用を車両の性能や形式によって「6R」「3R」など十数パターンに分け、各車両はパターン内の運用につく。ところが、検査等で車両が工場に入場してしまい、ときおり必要な編成が足らなくなることがある。しかし、足らないから運休するわけにもいかないのでこの場合は余ってる車両を使ってその分を補充する。これを「代走」と呼んでいる。 代走ゆえに普段なら見られない路線や列車に入ったりするため、一部のファンは代走の情報をキャッチすれば一目散に沿線に走るということになる。で、この画像がその好例。本来「P6」だったはずの急行大野町ゆきが「P4w+SR2」で運転された姿である。ちなみに、この暗号みたいなのが運用グループの略号みたいなもので、現場で使われているのとどれほど一致しているのかは定かではないが名鉄系Webサイト上では半ば常識のように使われている。どういう意味かというと、
P6…パノラマカー6両編成、P4w…白帯(特急仕様)パノラマカー4両編成、SR2…2扉クロスシート車2両編成 である。わからない人は無視(笑)。なお、「P4w」は今はもうない。
「急行大野町ゆき」でも書いたが「急行 大野町」は1本だけの存在、本来の「P6」は普段バリエーションが極めて少なかったため、たとえ通勤型でも代走になっただけでめったに見れない組み合わせになるのだが…。事前情報を持たずにこの日は撮りに行ったので列車が近づくにつれ車体に白いラインが引いてあるのがわかった瞬間倒れそうになった…とまではいかないが、夢じゃないかと思うような光景であった。編成は7029F+5311F。5300系側も貴重なのだが、白帯車で記録できたことに舞い上がってしまい撮りそびれた。
ちなみに、「急行大野町ゆき」でも書いた通り「急行 大野町」は何度か撮っているが、この代走運用がはじめて撮ったものだった。最初で最後の、大当たりである。
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| 急行 大野町ゆき |
 名鉄名古屋本線 神宮前
夏に東京あたりに遠征し、帰り「ムーンライトながら」を使ってまず名古屋まで戻ってくるとだいたい午前6時過ぎ。JRから名鉄に移動すると朝ラッシュの風景にでくわす。特急専用車が特別車締め切りで急行に入っていたり、あまり見ない行先の電車が来たりと趣味的に面白い物が見られたりするのだが、そんな中いつも気にして撮っていたのがこの「急行 大野町ゆき」であった。
この「急行 大野町」、平日の朝1本しか運転されていなかったというのがミソ。その地味な存在が気になり、撮れる時には必ず撮っていた。始発駅が弥富から新岐阜に変わったり(2003年改正)、時刻が微妙に修正されてはいるものの、「平日朝1本」と車両運用が「P6(パノラマカー6両編成)運用」というのは10年くらいは変わらなかったのではないだろうか(資料のある1992年の改正時点では急行大野町は平日朝2本だった)。変わらないならそう何度も撮らなくてもと今なら思うのだが(しかも撮った写真はこの神宮前入線アングルばかり…)。
2003年改正では720E「急行 大野町」(新岐阜630→大野町740)のほかに868G「普通 大野町」(太田川815→大野町831)ができたほか、さらに2004年秋から中部国際空港延伸がらみの関係で「急行 大野町」の使用車両が変更されたようなのだが、結局それらは撮れずじまい。2005年1月の空港線開業を機に「大野町ゆき」は姿を消した。
ちなみに、常滑線平日朝1本というのは現在「快速急行 中部国際空港」があるのだが、犬山方面から来る列車で名鉄名古屋まで「快速急行 中部国際空港」、そこから「急行 中部国際空港」に変わるのが数本あるので厳密には朝1本ではなかったりする。2005年改正では種別が増えた関係で途中駅での種別変更が増えてしまい、レアかと思ったらそうでもなかったり、一部区間だけ種別が違うことで今までにない組み合わせがあったりと探すのが結構大変だったりする。それが個人的には結構面白いのだが…。
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| スタート |
「通勤急行のホームページ・TetsuRadi-Q」は鉄道系の枠としてこれまで「鉄活動記」と「発車案内研究」が大枠であった。しかし、サイトを始めた頃にはいくつか単純な画像紹介の枠を作ったりはしていたが、どういうわけかいつもある程度のところで更新が止まってポシャるケースばかりであった。そして現在、名古屋鉄道の鉄道写真を紹介するコーナー「余所者ですが…名鉄!」もポシャル寸前…というかポシャる。どういう訳か。ネタはあるのだが通常のWebサイトとしての更新がなかなか乗らないというのが本音である。また、名鉄だけというのもやっぱり狭かったかなという気がする。名鉄は趣味的に大好きだが、私の守備範囲は基本的に国内全般である。ここはやっぱり更新が楽なブログを活用させてもらおう。とりあえず、このブログは「余所者ですが…名鉄!」と同様に撮影した写真に説明やら思い出を加える形で展開させてもらう。まずは名鉄の3ネタを移植し、ついでアルバムからいろんな画像を引っ張り出そうと思う。今度こそはまともに続くように。
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