|
|
|
| 1日だけの横浜ゆき |

 いずれも2004.1.31 東急東横線 学芸大学
現在、東急東横線はみなとみらい線へ相互直通し「元町・中華街」の表示も見慣れたものとなった。2004年1月30日(金)をもって東急東横線横浜〜桜木町間が廃止となり、2月1日(日)に横浜高速鉄道みなとみらい21線横浜〜元町・中華街間が開業。しかし、この間に空白の1日がある。2004年1月31日(土)は東横線は横浜まで、みなとみらい線は未開業。このため、この日だけ東横線は終日渋谷〜横浜間のみの運転が行われた。各社局、各方面からの電車が集結する横浜駅だが、日常的に「横浜ゆき」が見られるのは相鉄ぐらい。あとはあってもイレギュラーに1、2本あるくらいなものでたいてい横浜を通り越していた。東横線の横浜ゆきなんてそう見れるものではないとこの日は多くのファンが撮影しに来ており、駅の案内も「横浜」表示だらけとあって、物珍しさからか一般の人も興味深そうに表示板を指差したり、携帯のカメラで撮ったりしていたのが印象的であった。なお、現在は深夜にに1本だけ各停横浜ゆきが運転されている。
 2004.1.31 東急東横線 学芸大学
この当時8000系の行先表示幕使用車は唯一この8021編成のみとなっており、注目を浴びていた。当日日の当たる時間帯では各停運用のみであったが(夜中には特急に入ったらしい)「各停 横浜」の表示を出して運行した。なお、8021編成は2005年3月に廃車となったが、代わって8039編成が帯を消し、前面行先表示をLEDから方向幕に取り替えて登場時の姿に近づけたいわば「リバイバル編成」となったため、8000系方向幕車がなくなったわけではない。
|
| 特急「新町」 |
 2001.3.- 京急本線 金沢八景
京急はながらく電車に掲示する行先表示のうち、長いものについては省略するという慣例があった。よく地名に会社名が冠された駅名は略されることが多い。ご多分に漏れず京急も「京急蒲田」→「蒲田」、「京急川崎」→「川崎」、「京急久里浜」→「久里浜」であった。さらに、「金沢文庫」は「文庫」、「金沢八景」は「八景」。「新逗子」は「逗子」だけだった。そしてこの画像の「新町」は「神奈川新町」を略したものである。ここまで略すと利用者や地元民以外ではわからないだろう。文庫や八景はわからないなりにも特定できそうだが、新町なんて地名はいっぱいあるわけだし。まあこれも京急名物といっていいものであった。ただ、600形の1996年増備組のあたりから電車でも正式駅名表示が行われるようになり(京急の行先幕は幅広ではあるが、それでも支線の「京急川崎⇔小島新田」など一部にかなりぎゅうぎゅうな表示が見られる)、さらに今度は方向幕の英字併記を行う際に字幕の色を白地に戻すなど方向幕の変更が近年相次いでいるため、今、省略駅名の行先表示が見られるのかは?である。
ちなみにこの特急神奈川新町ゆきは横浜への通勤客向けで運転しているもの。京急は横浜近辺での混雑が一番激しいため、横浜への乗客と都心へ向かう人とを分散させる目的から朝ラッシュ時に何本か運転されている。
|
| 京急700形 特急「文庫」 |

2001.3.- 京急本線 金沢八景
京急700形は京急初の4扉通勤車として登場した。ところが、3両編成での使用のつもりで設計したのが4両編成で使用するようになり性能が不足、もともと普通車用だったのが加速が弱く、しかも4扉のために座席が少なくラッシュ時以外には使いにくい車両となってしまったという。京急の電車はたいていファンにもよく認知されるいい車両を多数輩出してきたのだが、700形を本来の用途だった本線普通車で見かけるのは少なく、大師線やかつての空港線などでひっそり動いているような印象があった。
しかし、その700形がラッシュ時にはひときわ輝く。それが朝ラッシュ時のかつての「通勤快特」、現在は「通勤快特」の種別は使われず「特急金沢文庫行、金沢文庫から快特品川行」(通称「B快特」)である。このときばかりは金沢文庫からは4両編成を3本つなげた京急最長の12両編成で多くの通勤客を乗せて品川へ向けて疾走、4扉を生かして通勤客をさばく700形の性能を十二分に発揮する姿が見られた。画像は金沢文庫で4両増結となる前、「特急 文庫」状態での姿である。京急はこの当時車両の行先表示においては長い駅名を略す慣例があり金沢文庫は単に「文庫」とだけ表示していた。
「B快特」での活躍は2003年夏のダイヤ改正までで終わり、本線普通車でも次第に使用されなくなると最後は大師線での運用のみとなる。一部は改造の上2003年から高松琴平電気鉄道へ移籍し白と黄色のツートンで琴平線の新たな主力となった1200形として引き続き活躍しているが、京急では2005年11月をもって全車引退となった。
|
| 阪神8523編成 |
 1999.8.- 阪神本線 大物
阪神電鉄で一大勢力を誇る8000系のトップナンバーである8201編成は性能は新車ながら車体はこれまでの阪神電車のスタイルを踏襲した「赤胴車」を基調とした顔で登場した。しかし、次に増備した8000系以降はいわゆる「額縁スタイル」の顔となり、8201編成は8000系の中で1編成だけの珍編成としてファンにも認知されるようになる。
1995年の阪神・淡路大震災で8201編成は6両中3両が被災し廃車。ところが残った3両は同じように編成の一部が廃車された2両と新造された1両とで組み、8523編成となる。震災の傷跡ではあるが、梅田方がふつうの8000系、神戸方が「赤胴車」顔と、顔が違う超異端の編成として現在も変わらずファンの注目を浴び続けている。現在は機器の関係で直通特急運用には入ることはなく、須磨浦公園までの運用についている。ちなみに、顔はいわゆる「赤胴車」顔だがあくまで8000系のため、甲子園でのイベント開催時にはヘッドマークではなく車掌台側にプレートをつけることになっている。
なお、画像の高速神戸ゆき特急は昔はいくらでも走っていたが、直通特急の増発により現在は平日の深夜に1本と土・休日の夕方以降のみの運転となりほとんど見られなくなった。
|
| 貨物列車で甲種輸送 |
 1998.8.1 JR山陽本線 竜野〜相生
新造された鉄道車両を他社の路線を使って輸送する列車を「甲種輸送列車」という。貨物列車の一種なので電車だろうが気動車だろうが機関車に牽かれて運転される。そのため新車を一目見よう、あるいは機関車牽引にひかれて、単に珍しいからと理由はさまざまだがファンの注目を浴びることが多い。近年ではファンサービスを狙ってか特別色に塗られたファンに人気のある機関車を使ったり、ヘッドマークをつけたりしてそれに応えたりすることもある。
この画像、定期の貨物列車に連結して走る珍しい?甲種輸送列車である。原色もほとんどいなくなった岡山機関区のEF65 70(2000年に廃車)のあとに連なるのは愛知県の貨物鉄道である衣浦臨海鉄道のKE65形である。このときは検査(山陰線の後藤発だったので当時の後藤工場で?)を終えて地元へ帰る姿である。このKE65を送り届ける貨物列車も昔ながらのタンク車や貨車をつないでの専用貨物列車と呼ばれる列車でこのごった煮的な組み合わせも最近はほとんど見られなくなってきた。
|
| 167系 |
 2000.--.--(?) JR山陽本線 竜野〜相生
国鉄時代、修学旅行専用電車として急行型をベースに登場したのが167系である。修学旅行は今や新幹線が当たり前であるが、昭和40年代までは黄色とオレンジのツートンカラーの修学旅行専用電車での行き帰りが専らだったという。165系に比べて狭いドアが特徴であった。その後、塗色は165系と同じ湘南色に変わり、国鉄からJR西日本に継承された直流の急行型電車は165系が紀勢本線のローカル列車に、167系は宮原電車区での団体・臨時列車への使用となった(167系の編成には165系も混じっていた)。以来、167系は団体列車を中心にたまに「ちくま81・82号」や「くろよん」などの臨時急行に入る形で使用が続けられた。ときには12両編成を組むなど往年の急行ばりの活躍もあったが、末期は6両編成1本が残るのみとなっていた。湘南色は113系や115系であまりにもおなじみだが、白熱灯にユニット窓が並ぶ2扉の車体は近郊型とは別格の雰囲気を醸し出していた。画像は何の気なしに夕方に来たいわゆる「金光臨」を撮ったものと思われる。これが167系を撮った最後となり、この年で167系は引退した。特にさよなら運転などが行われることもなかったはずである。直流の急行型は東日本、東海、西日本と各社で保有しおのおのでファンに根強い人気を誇っており、各社とも終焉間際には往年の最盛期を懐かしむリバイバル運転を組んだり、定期列車にはヘッドマークを着けたりしていたが、西日本の167系だけはひっそりといなくなってしまった印象がある。
|
| 赤穂線開業40周年記念列車 |
 2002.9.1 JR赤穂線 伊部 2002年9月、JR赤穂線の全線開業40周年を記念して播州赤穂〜岡山間にキハ20が1両、キハ58・28で2両の計3両で組まれたリバイバル列車が運転された。キハ20は既にこの時点でJRからは消滅していたため、倉敷の水島臨海鉄道に移っていたキハ20を借りてきて運転。そこまでするかと思ったが、この日は団体列車だったが大盛況で、さらに数回追加運転されていた(そちらは一般客が乗れた)。当日は雨だったが撮り鉄も大勢であった。このあたりの年は各地でリバイバル列車を運転していた頃である。明らかにファン狙いとしか思えない列車をやたら出してくれるようになってきたのはこれくらいの時期だったかな…。
ちなみに、赤穂線は地元だが、ディーゼルカーのイメージはまるでない。全線電化は昭和44年である。なのでこれでリバイバルというのにはちょっと?だった。
|
|