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| パノラマ区間運転 |
 2003.--.-- 名鉄知多新線 知多奥田
 2003.--.-- 名鉄河和線 富貴
名鉄の代名詞、パノラマカー7000系も登場からかなりの年数が経った。長く第一線で活躍してきたのも今は昔、近年では優等列車で見られるケースは昔ほど多くはなくなり、普通列車やヘタすれば車庫でお休みというケースのほうが多くなってきた。進化型だったはずの7500系が2005年で姿を消し、残る7000系も徐々に廃車が行われつつある。
画像は本線とは遠く離れた河和線・知多新線の末端で早朝に細々と普通列車として走る7000系である。短い区間を往復するだけなので行先板を付け替える手間を省くため、行先ではなく運転区間を表示した普段あまり見られない表示板を出していた。記事掲載時点でもこの運用はあるらしいが、空港線開業時に行先板が大規模に整理されたらしく、現在は画像のような手書きのような書体ではなく丸ゴシック文字になっているのだという。
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| 最後のいもむし急行 |
 2003.8.-- 名鉄各務原線 羽場
「パノラマカー」とともに名鉄の代名詞的存在であった3400系。昭和12年生まれの美しい流線型スタイルはその風貌から「いもむし」と呼ばれ親しまれた。同車は2003年8月のさよなら運転をもって現役引退となったのだが、ファンの集中を避けるためかさよなら運転は約1ヶ月に渡った。緑の濃淡塗装となってからのホームグラウンドであった広見線での普通列車が主であったが、最後のファンサービスとばかり画像の各務原線の急行運用が1往復組まれており、吊りかけモーターをうならせての力走を見せてくれた。種別板差しにはさよなら運転のヘッドマークが入っていたのだが、急行運用の際にはもちろん「急行」板に差し替えられ、変わって普通運用では下ろされていなかった日よけに「惜別」の文字が入れられていた。
名鉄の歴史に残る車両ということで3400系は引退後もしばらく車庫で留置されていたのだが、最終的に2両のうち1両は保存し、1両は解体という形で決着したようである。
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| 勝艇号 |
 2003.--.-- 名鉄広見線 善師野〜西可児?
名鉄沿線は競馬場やら競艇場など公営ギャンブルがいくつかある。その一つが常滑競艇場。名鉄常滑駅からバス連絡ではあるが、開催日には臨時特急・急行も出すことがあるなど昔から関係が深い。この「勝艇号」は2002年から開催日の一部の常滑ゆき列車にこのヘッドマークを掲げ競艇開催のPRをしていた。名鉄の場合ヘッドマーク差しを持つ車両は6000系の初期車など現在はさほど多くないのだが、ヘッドマーク差しがなければこのように車内の車掌台側に吊り下げてムリヤリ掲示していた。これは名鉄ではよくみられる手法である。
掲載時点で3年ほど前のものだが、完全に撮影ポイントを忘れてしまっている。たしか善師野で降りて西可児側に少し歩いたところだったと思うのだが…もし違ってたらごめんなさい。撮影地でこんななので撮影日なぞもっと不明。
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| リバイバル?いしづち |
 2002.11.2 JR土讃線 琴平〜塩入
2002年、JR四国はJR西日本から国鉄特急色で残るキハ181系を借り受けてのいわゆる「リバイバル運転」イベントを何度か行った。キハ181は四国初の特急として使用された車両であるが、JR発足後に新車キハ2000系列を増備し、電化を推進したことで1993年には早くも姿を消しており、イベントをしようにも借りなければ仕方なかったのである。国鉄色キハ181はあっちこっちのリバイバルもので当時はまさにひっぱりだこであった。
ただ、国鉄特急色の四国特急は「しおかぜ」と「南風」しかない。それだけでも十分なのだが、このときはリバイバル特急で四国一周といったツアーが組まれていたそうで、この画像のようにJR化後に走った「いしづち」までもリバイバルとして組み込まれたのだった。ちなみにこの日は「うずしお」として高松〜徳島、「いしづち」として徳島〜松山(徳島・土讃線経由)、そして「しおかぜ」で松山〜高松というルートだった。「うずしお」は大昔に山陽本線の電車特急として走っていたこともあるが、国鉄時代の高松〜徳島は急行「阿波」である。「いしづち」に至っては高松〜松山・宇和島の特急なのになぜ徳島発なのか?という話になるが、「いしづち」の名は昭和38年から5年ほど今は亡き小松島線の小松島港から徳島・土讃線経由で松山を結ぶ準急・急行の愛称として使われていたことがあったので、今回はそのリバイバルも兼ねているのだ…って無理があるな。
ということだからなのか本来のヘッドマークは白無地で往年の予讃線急行のようなツートンの円板マークが取り付けられていた(「うずしお」は現行マーク、「しおかぜ」は国鉄時代のマークで走った)。撮ったあとはただただ「…なんだありゃ??」という印象しかなかったのが正直なところである。撮った時は前述のような経緯があるとは知らなかったので、無理やり走らせたための苦肉の策にしか思えなかった。余談だが、個人的には「いしづち」新設後数年だけ使われたほのぼのした風景イラストのマークでも使って欲しかったのだが。あのシリーズなんでやめたんだろ?
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| 元禄繚乱 |
 1999.--.-- JR山陽本線 英賀保
1999年のNHK大河ドラマは「忠臣蔵」をテーマにした中村勘九郎(現・中村勘三郎)主演の「元禄繚乱」であった。忠臣蔵といえば赤穂。そこでこの年のJR西日本は放送期間中に赤穂観光をPR、割引切符の発売をはじめ、以前から運転されていた土休日運転の臨時列車「赤穂備前ホリデー」号にプラスして大阪〜播州赤穂間の「赤穂レジャー号」も増発、そして京阪神を走る各列車にこの「赤穂 元禄繚乱」のヘッドマークが取り付けられた。当時は通勤型から新快速までとにかく「元禄繚乱」。赤穂へ姿をみせる列車だけでなく、関係ない路線にまでこのヘッドマークがついていたようだ。
画像は網干電車区所属の113系である。JR神戸・京都・琵琶湖線を走る113系は主に網干と宮原電車区にいたのだが、宮原の車両は塗色が本来より明るめでヘッドマークも小型、方向幕は黒地の新式になっていたのに対し、対する網干車は塗色も本式どおり濃くヘッドマークは大型、しかも原型といえる白地の行先表示幕を残していた。網干車のほうがファン受けしていたような気がする。 このときは167系の団体列車を取るために待っていて、露払いのような形で前走りしてきた車両を何の気なしに撮ったのだが、こういうのも後から見返せば貴重な記録である。
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| キハ400系急行「利尻」 |
 1998.8.-- JR函館本線 札幌
大学時代にはじめて北海道へわたった。大学の鉄道趣味サークルで「合宿」と称した旅行で行ったものである。画像は当時毎日運転されていた函館ゆきの夜行快速「ミッドナイト」を待つ合間にバルブ撮影した稚内ゆきの夜行急行「利尻」の姿である。長時間シャッターを開放して暗い中撮影するバルブ撮影は正直苦手であまり成功しないのだが、このときはめずらしくうまくいった。
「利尻」は当時キハ40を急行用に改造したキハ400系に14系客車をつなぐという当時でも異色の編成となっていた。かつては14系客車と座席車というよくある夜行列車のスタイルだったのだが、この頃はすでに機関車牽引の客車列車が敬遠されつつあった頃である。しかし、寝台車の需要を無視できず、結果こういった気動車とつなげるという苦肉の策がとられることとなった。ただ元々キハ40だった車両が改造されているとはいえ急行に使われていることにその頃は違和感を感じたものである。「利尻」はその後特急格上げとなり寝台車とペアを組む車両は特急形のキハ183系に変わる。このためキハ400系は使える急行列車がなくなったために結局は元の一般型キハ40系に戻される改造を受けたり、お座敷列車に改造されていった。また夜行列車退潮の流れは北海道にも流れ、特急「利尻」は2006年3月より臨時列車に格下げとなっている。
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