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| 臨時寝台急行「霧島」 |
 ----.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生
夜行列車の斜陽化が叫ばれて久しく、もはや末期状態といえなくもないが、それでも90年代半ばまでは多客時の臨時寝台列車の運転が残っていた。その一つが新大阪〜西鹿児島間運転の20系の寝台急行「霧島」であった。 もともとは昭和61年11月改正で消滅した寝台特急「明星」が臨時格下げされ20系で運転されていたのだが、初代寝台特急専用客車といっても旧式となった20系は特急料金を取る水準ではないとして寝台急行「霧島」に衣替えしたものである。このとき同時に同じく20系で運転していた「あかつき81・82号」は寝台急行「雲仙」、「あさかぜ81・82号」は寝台急行「玄海」となった。ちなみに「明星」「あかつき81・82号」は手書きのような定期列車と同じイラストのテールマークが掲げられていたが、「あさかぜ81・82号」は往年の20系特急を髣髴とさせる文字マークでの運行であった。
同じ新大阪発着でも「雲仙」は通過が5時すぎでとても撮れず1度も見ることはなかったが、「霧島」は上りの新大阪到着が遅く、撮影地付近は午前8時半過ぎに通過するうえに運転期間も比較的長めで、余裕で撮影できた…はずなのだがあんまり写真がない。なんか写真を撮らず見送りだけした記憶がなんだかあるのだが…。もったいない。「明星」時代も何度となく見送っただけで1枚も撮ることはなかった。まあ、今と違って中学生で一眼レフなんてまずムリな頃である。コンパクトカメラで走行写真なんてかなり難があった。
ちなみに20系臨時寝台急行の運転は平成8年で打ち切られたのだが、「霧島」は平成7年に「桜島」に改称している。これはJR九州が宮崎〜西鹿児島(当時)間の特急を「きりしま」としたことに伴う変更と言われている。
余談だが、「霧島」の牽引は通常EF65 1000番台であったが、極めてまれにEF66が使われるケースがあり、偶然撮ることができた(この当時はネットもないし携帯もない。人づてでしか情報なんて入ってこない頃である)。ただ、これもコンパクトカメラで腕がない身、小さく映っていたのをパソコンで引き伸ばした画像である。
 ----.--.-- JR山陽本線 竜野〜相生
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